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zoom RSS 『海神の社』公開創作メモ−1 『神道』

<<   作成日時 : 2016/11/13 00:29   >>

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 そもそも神道とは何であろうか? はたして宗教なのか、習俗なのかという事が、今更のようにくり返し取り上げられ、論じられている事自体が神道の特殊性を物語っている。なるほど、伊勢神宮を頂点に頂く神社本庁は、現代日本では宗教法人であるから、法の定めるところによれば神道とは宗教である。そして、日本の宗教人口の調査によると、日本国民の90%以上が神道のいずれかの神社の氏子である。同時に、仏教界からの申告によれば、やはり日本国民の90%以上が、いずれかの寺の檀家である。つまり、日本人の大部分は、何処かの神社の氏子であり、かつ何処かの寺の檀家である。ちなみに私のような洗礼を授かった教会員であるクリスチャンは、日本では0.7%に過ぎない。

平成27年度の政府宗教人口調査によると、神道系92,168,614人、仏教系87,126,192人、キリスト教系1,951,381人、その他の諸教8,973,675人……何と総合係数は190,219,862人となり、日本の総人口12,700万人の倍近くになる。

 仏教と言い、またキリスト教と言う時、そこには「教」という文字がついている。対して、神道には「道」の文字がついている。なんだか柔道だの茶道だの書道という言葉に近いではないか。そもそも「神道」という言葉その物が、仏教の伝来と共に、それと区別する為に作られたとも言う。そして、神道は開祖も教義もない摩訶不思議な宗教だ。仏教を「悟りと慈悲の宗教」と言い、キリスト教を「愛と赦しの宗教」と言う。では、神道とは何の宗教なのであろうか?

 元々、古代神道は、血族ごとの祖霊信仰、農業の発展と共に地域共同体の守護者としての氏神や神々に対するアニミズム的な信仰をルーツとしていると思われる。環境のコントロールが未発達な古代において、自然は畏怖し、また敬われるものであっただろう。神社の拝殿に見られる注連縄などは、実は荒ぶる神を封ずる為の結界である。そうした意味では、神道は「畏怖と敬いの宗教」であるかも知れないが、血族や共同体を結びつける接着剤の役割が強かったと思われる。朝廷の支配権が確立する前は、地方豪族ごとに地域共同体の主神が数多く崇められていたはずだ。

 日本古来の神々に対する信仰に、最初の節目が訪れたのは、やはり仏教の伝来だった。朝廷内部での有力豪族による崇仏派と廃仏派の対立は、用明天皇2年(587年)の「丁未の乱」に発展し、廃仏派の物部氏が、崇仏派の蘇我氏に滅ぼされている。私のような年代の人間は、子の時代に聖徳太子(最近の教科書では聖徳太子という呼称を使わず厩戸皇子としているらしい)が仏教を重んじて、その普及に努めたと小学校の歴史の時間に習っている。もっとも、丁未の乱は、崇仏論争よりも朝廷内の権力闘争という側面の方が大きく、日本古来の神と仏は、単なる呪術的な旗印に過ぎなかったと思われ、また、仏教と神道を巡る崇仏論争は本作にあまり関係がない。ただ、今現在においても、神道系と仏教系の信者数が重なり、拮抗している事を見ても、歴史上に神仏習合や廃仏毀釈は度々この国のスピリチュアルな精神史の中で繰り返されている。

 欽明天皇以降の大王(おおきみ)の多くが仏教に帰依していた中で、神道側への揺り戻しとして大きなポイントとなっているのは記紀(きき)の編纂であろう。「記紀」とは、『古事記』と『日本書紀』の二書を指し、朝廷の権力強化の中でなされた正史の編纂事業である。実際にこの二書を読んで比較検討したという人は少ないだろうが、私の私見では『古事記』は神話としての側面が強く、『日本書紀』は歴史書としての側面が強い。特に書紀においては、度々「一書に曰く」という表現が多用されていて、『古事記』に見られるような皇統を正当な王家とする天孫降臨神話以外の各地や諸豪族に伝えられた多くの異説を取り上げている事が特徴的である。その中にはアマテラスの異名としての大日孁尊の名も見いだせるのである。

 いずれにしても、記紀の編纂は、伊弉諾、伊弉冉の国産みに始まり、天照の血脈に始まる天孫降臨と神武東征の神話を、天皇家が大八洲(日本列島)の神意を受けた正当な統治者であるとする事の権威付けとして行われた事は疑いない。神武東征は日本神話の中で見られる武力征服の側面であり、神代紀での大国主命の国譲りなど、出雲系の神々が大和系の神々に帰順していく事は、非暴力的な統合と言えるが、何にしても、記紀が古代天皇制の天皇家の支配権の呪術的な正当性の裏付けとしてなされた神話の再編である事は確かだ。

 記紀の記述に従えば、神武天皇の即位は紀元前660年1月1日 (旧暦) と比定されている。現在の歴史学では、神武天皇(古事記では137歳、日本書紀では127歳まで生存とある)が実在した人物と認めていない。またその内容・筋書きをそのまま史実であるとは考えられていない訳だが、昨今の与党国会議員による神武天皇の実在や、記紀に基づく天皇制の歴史を日本古来の伝統として肯定する発言の数々は、これらの呪術的な国家観に基づく最新の揺り戻しだと考える事も出来る。ちなみに西暦2016年(本年)は、神武天皇即位紀元2676年に当たる。そもそも邪馬台国が日本列島に存在していたのが西暦1〜3世紀の事だと言われている訳で、2016年現在の政治家が、記紀を伝統として肯定する事は、甚だ非科学的でオカルティックな発想としか思えない。

 歴史の流れに戻ろう。

 記紀の編纂以降、朝廷の実権は、物部氏に代わって神職の司となった、藤原氏(中臣氏……大化改新の立役者、中臣鎌足が藤原の氏を賜る)に移ったし、その後は朝廷や公家に代わって武家が政治の実権を握る。武家の台頭は平安末期に始まり、徳川の治世の幕末まで延々と続く。その間、日本の精神的なバックボーンは大きく神仏習合の形を持っていたと考えられる。武家政権の中では、「京都の御所に天子様がいらっしゃる」などと言う事は、限られた文化人しか知らず、徳川幕藩体制下においては、庶民は天皇の存在すらず、国とはせいぜい諸藩の事であり、一番偉いのはお殿様であって、せいぜいその上に公方様として征夷大将軍が意識されていたに過ぎないだろう。神社は皇室に繋がるものというよりは、古代神道が本来持っていた、氏神や共同体の守護社として機能していた筈である。

 天正時代のキリスト教の伝来は、日本の精神史の中では見逃せない一要素であり、私個人の精神的な骨骼として、また紅王国の作品群の背景としては大きな事だが、切支丹宗門が日本民族の精神史を揺るがした大きさは、仏教伝来のインパクトに比べればずっと小さい。また、神道という信仰、ないしは習俗を中心として見れば、それに対するクライシスではなかった。記紀神話と神道的な世界観が再び大きく表舞台に躍り出るのは、倒幕による明治政府の成立、大政奉還と王政復古によって近代天皇制の始まりと国家神道の成立による。

 国家神道については、些か複雑な背景がある。まず、国家神道は「宗教ではなく習俗である」とされたが、事実上は明治政府による神道の国教化に近い物がある。宗教ではないとされたのは、近代国家として名目的には信教の自由を保障しながらも、国家神道を仏教やキリスト教など、個々の信仰の上に立つ「超宗教」として位置づけたからだ。明治憲法の冒頭にあるように、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」の根拠が記紀神話に求められたのだ。これに当たって行われた事が徹底した神仏分離と廃仏毀釈である。長い神仏習合の時代、八幡宮に代表されるような神をも祀る寺や仏を祀る神社は数多あった筈だが、神社に祀られた仏像などは徹底的に破壊された。

 また、国家神道とは別に、開祖を持ち、世直し教的な信仰の対象となった神道系宗教は、国家神道に対して教派神道という呼ばれ方をされるようになった。天理教や金光教などの十三派である。国家神道は内務省神社局、後には神祇院の管轄に置かれ、つまりは政府の管理下に置かれた。これによって起こった事が、神職の国家公務員化である。世襲によって霊的指導者として神社を受け継いできた宮司や巫女などの神職は、皇統、即ち国家に連なる人々に代えられた。1882年(明治15年)1月24日の内務省達乙第7号「自今神官ハ教導職二兼補ヲ廃シ葬儀二関係セサルモノトス」により、「神社神道は宗教ではない」とし、宗教(教派神道・仏教)と祭祀(神社神道)を分離させ、神道は国の祭祀として非宗教とされたのだ。また、国家神道では口寄せなどの民間信仰禁止政策がとられていたから、神社はますます霊的な物から政治的なものへと移り変わっていた。つまり、『海神の社』に描くような、国家による地方神社の乗っ取りと言う事が頻繁に行われたのである。この事は、実は、神社本庁が全国の神社を統括している今日の神社会でも横行している。

 戦後、GHQの神道指令によって国家神道は解体された。神道界というか神社界には、宗教色を除いた習俗としての公的機関となるか、独自の宗教法人として生き残るかである。神社神道を宗教ではないとすると、再び国家との癒着が懸念されたから、戦後の神道は宗教でなければならなかった。宗教には教義が必要であり、それが今日の宗教法人神社本庁の骨骼である。神社本庁を最大の後援組織とする日本会議が誕生するまで、所謂神道的な政治思想による運動は、戦後数々行われてきた。最初に紀元節の復活運動があり、これは建国記念日の制定という形で具体化された。更には元号の法制下があり、その先には天皇を元首とする事を主とした憲法の改正がある。その他に、神社本庁は靖国神社への天皇や宰相の公式参拝、不敬罪の復活なども掲げており、実質的な国教化の復活を望んでいる事は明らかだと思われる。

 ただ、神道が古代から続くアニミズムから始まっており、血族や共同体の守護社として発達し、長い歴史を紡いできた事を考えた時、記紀編纂や明治維新による天皇制と神道との結びつきというのは、長い伝統と言うよりも、神道史の中でも特別な、例外的な一側面であると言う事は否定出来ない。記紀神話に戻ろうという今日の復古主義的な閣僚の発言や日本会議の目指す改憲の方向性は、この極めて危険な一時代に戻ろうとする息苦しい時代の到来の予兆である気がしてならない。記紀神話による神道信仰と神道的政治観とは、そもそもが「豊葦原の中つ国」は天照の血筋が平定すべきものだという神話に基づき、日本民族以外には全く関係がない。それが神道が世界三大宗教のようなグローバルな国際宗教にはなり得ず、ヒンズー教のような民俗宗教にしかなり得ないと言う事の所以でもある。天皇家が天津神、天照の血筋であるから日本を統治するのは神意であると言うようなスピリチュアリズムには、他国民他民族、そしてその存在を無視されている日本国内の先住少数民族にとっても与り知らぬ事だ。

 しかしながら、神道の本質は、実は「神神習合」というところにあると言う言説がある。日本の神々は八百萬と言う。今回のリサーチにあたって読んだ本の中に、小林正弥・著『神社と政治』(2016年9月10日初版)があるが、神道的世界観の中では、一神教故に他宗の神を認められないクリスチャンやムスリムと違い、神道的な精神観では、それら一神教の神も八百萬の神として認められる、それが新たな精神的グローバリズムの可能性であると無邪気に主張されると、ある種の背筋の寒さのようなものを感じざるを得なくなる。

 『神社と政治』で展開される神道的世界観や政治観のおおらかさとは、私にとっては曖昧さと同調圧力の蟻地獄に見える。日本には昔から、「世間様」や「お天道様」という、顔の無い神がいて、「長いものには巻かれろ」、「郷に入れば郷に従え」という無言の協調圧力がある。全てが八百萬の神に取り込まれるのなら、「神を選んだ人間」或いは「神から選ばれた人間」は共同体から孤立するしかない。それは仏徒である事を全うする為に、神事を拒否するという人についても同じ事なのだ。李纓監督のドキュメンタリー映画 『靖国 YASUKUNI』には、自身も父も僧侶であり、仏徒であるが故に、父の靖国合祀の取り下げを願う僧侶がとりあげられている。国家神道の復活は悪夢でしかないが、神道の持っている曖昧な同調圧力こそ、私の恐怖感の源泉ではないかと今は思っている。それは私自身の魂の戦場、そして日本に生きる全ての人々にとって、尽きる事のない霊的な命題である。故に私は、信心もなく、その神社の祭神も知らず、単なる習俗として、初詣や縁日に出向き、お宮参りや氏子入りや神前結婚をする人々に、
「貴方の神はいずこにありしや?」
と問わずにいられないのである。

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