紅王の宮殿・野中友博公式ブログ

アクセスカウンタ

zoom RSS 小説『殺し合う家族』、そして「北九州監禁連続殺人事件」

<<   作成日時 : 2012/04/27 01:45   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 2

新堂冬樹・著『殺し合う家族』は、松永太死刑囚の「北九州監禁殺人事件」に対する死刑確定判決についてのmixi日記で、「それをモデルにした小説を読んだばかり」と書いた方に、書名と著者名を伺って注文してから四ヶ月程置きっ放しにしていた本だった。色々な本を面白がれなくて、
「さて、読んでみるか……」
と読み始めてからやめられなくなった。この小説に書かれている事はあまりにもおぞましく、同じ殺人や犯罪を扱った小説でも、村上龍の『オーディション』や『イン・ザ・ミソスープ』、平野啓一郎の『決壊』、トマス・ハリスの『レッド・ドラゴン』や『羊たちの沈黙』などもまだ救いがあると思える絶望に満ちている。

実際の事件では、松永は死刑が確定したし、共犯者であった緒方純子受刑者は無期懲役が確定したが、『殺し合う家族』では、松永をモデルとした富永哲は心神喪失を演じきって無罪を勝ち取り、緒方をモデルとしたヒロイン、小田貴子が死刑執行の絞首台から落下する描写で終わる。そこに救いは無い。神も仏も無い。富永哲という悪魔的な人物が、どうしてそのような人間になったかという解決もヒントも無い。これを読んで絶望を感じないとするなら、世界は悪意に満ちていると言う事になる。

そう、悪意だ……私は人を傷つけるのは善意だと思っていた。そして正義が人を追い詰めると思っていた。前述した犯罪小説、或いはミステリ好きの方々がさんざん読み倒しているであろう推理小説でも、加害者の動機にはある一定の理解が可能なように書かれているはずだ。だが、『殺し合う家族』に描かれた富永哲という人物の動機はさっぱり分からない。彼がどうしてそんな人間になったのかもさっぱり分からない。だが、そんな人物は実在し得る。小説家や劇作家の想像力にある事は、人間は実行しうる。その事にたまらなく不愉快で絶望的な気分を感じた。

こんな小説を書いた新堂冬樹とは如何なる人物か? 1966年生まれと云う事だから、年下とはいえ私とは四つぐらいしか違わない。私よりも若い世代が、渇いた絶望を作品にしている事は何度も目にしたし、それは私の書けない世界だとも思い、リスペクトを感じた事もある。例えば戯曲『BRIDGE』を書き、上演した小里清のような年下の劇作家に対して、凄いじゃ無いかと思った事は何度かある。しかしながら新堂の描き出す絶望感はジメジメしていて、ただただ後味が悪い。世界に希望なんか無いと唆しているように見えるが、若い世代の作家に感じるクールな諦観は無い。悪意を読者に叩き付けようとしているかのようにすら思える。

小説の元となったこの事件、少し踏み込んで考えてみようかとも思う。この気持ち悪さを払拭するには、私が私で何か書くしかない……そんな気になってきた。

 それにしても胸くそ悪い小説を読んでしまった物だ。中山七里の『連続殺人鬼カエル男』の方がよっぽと読後感はマシだった。

画像

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
当然です。こいつが死刑じゃなかったら、司法がブッ壊れますよ。
柳葉翔
2012/10/21 15:18
すみません、文が不完全でした。

当然です→死刑は当然です
柳葉翔
2012/10/21 15:20

コメントする help

ニックネーム
本 文
小説『殺し合う家族』、そして「北九州監禁連続殺人事件」 紅王の宮殿・野中友博公式ブログ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる