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zoom RSS 占い師の資格

<<   作成日時 : 2012/03/13 03:56   >>

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 以前のブログにも書いたと思うが、占い師という職業を開業するにあたっての国家資格というような物は無い。医師には医師免許が必要だし、学校の先生になるには教職資格が無ければならず、弁護士や検事になる為には司法試験に合格しなければならないが、占い師を開業するにあたっての法的な資格は存在しない。例えば「評論家」という肩書きの人達がいるが、評論家の国家資格は無いし、小説家や劇作家にだって法的根拠のある資格制度はない。私は日本劇作家協会の会員で、一時は役員を務めていたこともあるが、何らかの試験や実績によって劇作家協会の会員になったり役員になった訳では無い。劇作家協会は自らを劇作家と認め、入会金と会費さえ払えば入会出来るという極めてオープンな任意団体だ。社員旅行の宴会芸の台本を書いたから私は劇作家だという人の入会も認めるのが劇作家協会のスタンスである。それは「劇作家の資格」なるものを明文化して、その定義の中に劇作家を押し込めると言う事はナンセンスだという会のスタンスでもあると私は考えている。

 さて、本題の「占い師の資格」であるが、世の多くの占い師の方々が、私は誰々先生の弟子であるとか、何とか学校の認定書を貰っているというような事を肩書きに書いている事が多いが、それらは法的な占い師の資格を認定する物では無い。占いの学校というのはある意味で俳句やペン習字や社交ダンスを教えるカルチャースクールに近い物なので、経営側はとにかくお金を落としてくれた人には認定書だか卒業証書を出すというような事に似ている。また、流派なんとかの誰々先生に習いましたという事に関して言えば、こちらは日舞や古典芸能などの「お名取さん」の制度に似ていて、その流派の権威を奉る人達以外には意味が無い。私も、
「日本のタロットの最高権威であるアレキサンドリア木星王先生に師事しました」
等と云ったら箔がつくのかも知れないとは思うが、私は木星王先生にも誰にも師事しなかった。私が夢中になってタロットや魔術について研究していた頃、日本のオカルト業界、ことに西洋魔術関係はG∴D∴流の高等魔術派と魔女術派に大きく別れて対立関係にあり、日本のタロットの最高権威である木星王さんは魔女術に傾斜していて、私としては学ぶ気になれなかったし、かといって、木星王師以上のタロッティストが日本にいるともその当時は思えなかったのだ。現在、伊泉龍一、鏡リュウジといったニュー・ウェイヴの占術研究者が認知されてきて、状況は大きく変わってきているのだか、その時点では誰かに師事して、その方法論を無条件に学ぶという事は私には考えられなかった。

 なので、私の魔術や占術に関する知識やスキルはほぼ全てが独学である。しかしながら、これも前にも書いた事だが、ことタロットに関するスキルや知識について、どこぞの占い学校を卒業して認定書を貰いましたという方々は、私から見たら殆ど何にも知らないのと同然だ。演劇や声優学校の世界でも、とにかく授業料だけとってお免状や卒業証書を出してしまうと言う事が多いのと同じに、占い学校でも特定のカリキュラムを終えたら修了という事にしてしまう……そう云う事がまかり通っているのだと思う。

 だが、しかし、私が今回「占い師の資格」等と云うお題でブロクを書こうと思ったのは、占術の知識やスキルの問題では無い。遊びや趣味の範囲で無く、「占い師」という事を職業にするのであれば、それには絶対にクリアしなければならないハードルがある。その事である。

 私の占術とは単なる占いでは無い。魔術である。前ブログにさんざん書いた事なので詳述はしない。これから書く事について、前提を知りたい方は、以前のブログを参照して欲しい。魔術、占術関連のブログは演劇実験室∴紅王国公式ホームページの中にある「紅王の魔法とタロットの部屋」http://www5e.biglobe.ne.jp/~kurenai-/magic.html にまとめてあるので、そちらから過去記事を読んで欲しい。

 占い、という行為その物は、プロ、アマを問わず、色々な場面で楽しまれたり好まれたりする。私が最初のタロット・カードを手にしたのは11歳、小学校6年生の時だった。その頃から、また、中学校に入ってから、学校の休み時間には、私のタロット占いを待つ同級生達が、私の机の前に列を作っていた物だった。小学生や中学生が占いに問う問題などはたかが知れた他愛もないものが多い訳だが、少なくとも、私は、その頃に、他者を占うというイージーな設問の鑑定を数多くこなすという特訓をしていたような物だ。多分、誰かが手相を読めると云って、一人が手相を見て貰うと、自分も見て欲しいという人達が後を絶たず、占い話でその場が盛り上がるという事はたいていの人が経験しているのでは無いだろうか? だが、それが、お金を払ってプロの占い師に占いをして貰おうというゲストが現れると、事はがらりと変わってしまう。「占い師の資格」とは、それまで見ず知らずの他者であった人と如何に関わりを持つかというその点に集約されるのだ。そこで職業としての「占い師の資格」が問われる事になる。

 占い師というのは不思議な仕事だ。ゲスト、クライアント、仕事をする側にとっては「お客様」という事になるかも知れないが、リピーターとなった人を別にすれば、その日に占う相手は、それまで、なんの関わりも無かった他人である。その他人であるクライアントが、もしかしたら、家族にも、親友にも、恋人にも言えなかった悩みを見ず知らずの占い師に相談してくるのだ。占い師は、それまで見ず知らずの他人だった人の悩みに対して、適切な助言をしなければならない。

 例えば恋の悩みだったとしよう。占星術や四柱推命のような暦を使った占いをしたが相性は悪い、筮竹を使った易やタロット・カードでの卜占でも良い結果が期待出来ないような卦やカードが出てしまった……それをどう伝えるか? 昔は、タロット占いで、
「『死に神』のカードが出たからもうじきあなたは死ぬ」
という乱暴な占いをした占い師もいたらしい。さすがに今はそんな馬鹿な事を云うタロット・リーダーはいないだろうが、それでも悪いカードが出る時は出る。私にもそんな経験はある。それでも、私は、どんな凶札が出ても、運命に立ち向かうにはどうするか、どうしたらその凶札の警告している不幸を回避出来るのか、その事を探してアドバイスする事を心がけている。それが出来ないなら、お金を貰って占いをするプロの占い師である意味は無い。凶の卦しか出ていないのであれば、軽やかに諦める事を促すか、さもなければ凶運を跳ね返す為の助言をするかどちらかをしなければならない。

 占い師という仕事をするには、それなりの占術を身に付けるという知識やスキルについてのハードルがある事は確かだ。占い師は暦なら暦の、筮竹やタロット・カードならそれぞれの卦やカードに即した助言をする事しか出来ないししてはいけない。だが何よりも、「クライアントの悩み事に寄り添う事」という誠意と覚悟が必要なのだ。親しい友人や知人を占うのなら、
「まあ、これもお遊びだからね♪」
という「ナンチャって」というお遊びですむのだが、これを職業とするとなるとそうは行かない。プロの占い師の許にやってくる人々は、それなりに切羽詰まった問題を抱えている事が多い。失恋、失業、不倫、詐欺……ハードな苦しみを解決する為にゲストは占い師の許を訪れる。そして、プロの占い師の許に、お金を払って相談するというハードルは、お金も無いのにサンローランやヴィトンのお店にウインドー・ショッピングに入ると言う事よりも遙かに高い。何しろ、他の誰にも相談出来なくて占い師を頼ってくる人達なのだから、その勇気自体が大変な物なのだ。

 何が何でもゲストには前向き志向になって貰ってお帰り頂く……それが私の占い師としてのスタンスだ。例えばタロットを展開して、吉札ばかりが出ていれば、
「油断をしてはいけませんよ。弛まず努力して下さい」
と戒めの言葉を添えるし、逆に凶札ばかりがでているなら、
「この悪運を跳ね返すにはこういう事をすれば良いんです、大丈夫です」
と助言する。臨機応変にそう云う事が出来るか出来ないかがプロの占い師になれるかなれないかを別つ。

 単純な話なのだが、所詮、占いなんて「当たるも八卦、当たらぬも八卦」なのだ。当たるか当たらないかなんて話は、私にしてみればどうでも良い話なのだ。だが、その占いにあたって、占い師がゲストに如何に接して、如何に助言するか……その事は、ゲストの心のあり方を決定的に変えてしまう。前向きになれる助言をすればゲストは前向きに生きていくだろうし、否定的な占断をすれば落胆し、気落ちしたまま生きて行く事になる……つまり、占い師がお客様……ゲストに対して行う助言は、ゲストの意識を変え、その行動を変えてしまうと云う事なのだ。その事は、つまり、ゲストがどのような意志の持ちようをするかを左右すると云う事は、占い師に課せられた大きな責任なのだ。

 その人の人生に、もしかしたら、決定的な影響を与えてしまうかも知れない……そういう事を助言するのが占い師の仕事であるし、その覚悟が無いならプロの占い師になるなんて云う選択はしない方が良い。占術を身に付けるのは構わないが、他者の人生の選択肢に関わる事をしたくないなら、占い師という仕事をする資格はない。お友達や家族を相手に、イージーな事を占っていれば良い。それを私は全く否定する気は無い。

 このブログの最初の下りで、学校の先生になるには教員免許が必要だというような事を書いた。数学の先生は数学を、古文の先生は古文を教える為の技量を問われる。だが、不登校になってしまった生徒とのやりとりやもクラスの中のイジメにどう対処するかという能力は、教員資格の取得課程では問われない。新任の教師達は、誰にも教えて貰えなかった学内の問題に対処する事を強いられる。

 占い師も同じだ。

 占いの学校、教室では、例えば、水瓶座の中に木星が位置している時はこういう意味だとか、タロット・カードのワンドの6番はこういう意味だとかは教えてくれる。だが、そんな事は、実はどうでも良い話なのだ。ゲストが今の今に直面している悩み、問題、苦しみに、何処まで関わり、寄り添っていけるかという覚悟と誠意が試されるのだ。なんとかという学校で習ったとか、誰々という先生に習ったなんて話は本当になんの意味も持たない。最後は、何処までゲスト、クライアントの抱えている問題に寄り添えるか、その覚悟と誠意が試されるのだ。

 私も占い師の端くれではあるが、演劇人でもあり、作・演出家として、自分の作品を観て下さったお客様達が何を思うのかといつも考える。それは占い師としての私のリーディングに接する方々とも同じなのだ。演劇を仕掛ける事も、タロットの札を読む事も、その人の意識に決定的な影響を与える可能性がある……その事を自覚出来なければ演劇も占いもやってはいけない。絶対にいけないとまで断言はしないが、見ず知らずの人に何かの影響を与えるのだと言う事を自覚出来ないのなら演劇にしろ占いにしろ、仲良しなお友達の範囲に留めておけばいい。そしてそれはせめられる事でもなんでも無い。

 アレイスター・クロウリーは言った。
「魔術とは意志に従って変化を起こす科学であり業である」
 そしてダイアン・フォーチュンは言った。
「魔術とは思うままに意識の変化を引き起こす技術である」

 故に、私の仕掛ける演劇、私の行使する占術とは、人の意識を変える、誘導するという側面において魔術その物なのだ。なので私は占い師ではなく魔導師と名乗っている。演劇を仕掛ける事も、占いをする事も、私が魔導師である、魔術を行使するという事においては矛盾はない。だから私は魔導師と名乗っているのだ。

 何らかの占術を用いて、その占断をゲスト告げるという事は、ゲストの人生に深く関わって行く事を覚悟すると言う事だ。国家資格云々ではない。その覚悟と責任を自覚する事が「占い師の資格」という事なのだろうと思う。そしてオセロ中島知子を洗脳したようなかかわり方をする占い師は論外。占い師以前に人としての道を踏み外している。ああいう輩が出てくるから、尚更、占い師の資格とは何かが問われるのである。

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