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zoom RSS 【渋谷短大生遺体切断事件−1】 『我が名はレギオン』公開創作メモ−7

<<   作成日時 : 2007/11/26 17:05   >>

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 諸々の殺人者の横顔を一通り書き終えたところで、次回作執筆の最大のモチベーションとなっている事件について迫ってみたい。発覚から11ヶ月以上、詳細に報道などをスクラップし、関心を持って追い続けてきた『渋谷短大生遺体切断事件』について考察してみようと思う。歯科医一家の次男である兄、武藤勇貴が、妹の、長女、武藤亜澄を殺害し、遺体をバラバラにした事件である。
 前述した、三橋歌織による夫殺し、『新宿・渋谷エリートバラバラ殺人事件』と事件の発生時期が殆ど重なっていた事もあり、何かと比較されながら、ジャーナリズムを大いに賑わした事件である。

 本当は裁判の第一審が結審して判決が出るまでは待って、ある程度の確定情報を得てから考察を開始しようと考えていたが、現時点の事件から公判開始までの経過と、そこから読み取れる事をまとめてみようと思う。勇貴と亜澄、武藤兄妹の間に、本当は何があったのかを考えてみたいと思う。

【渋谷短大生遺体切断事件】

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《事件の発覚から逮捕、自供まで》

 2007年1月3日、午後10時頃、夫婦で歯科医院を経営する武藤衛さん(当時62歳)より、「自宅に人の遺体がある」と警視庁代々木署に通報があった。同署の調べによって、遺体は同家長女の亜澄さん(当時20歳)と判明。遺体には着衣が無く、十数個に切断され、ビニール袋三袋に分けて同家の三階洋間に置かれていた。警視庁捜査一課は、同家に侵入の形跡がない事から、家族のいずれかが事情を知っていると見て捜査を開始し、翌、1月4日になって、同家次男、武藤勇貴容疑者(当時21歳)を死体損壊容疑で逮捕した。

 武藤家は衛さんと妻の洋子さん(当時57歳)と大学生の長男(当時23歳)と、次男の勇貴容疑者、長女の亜澄さんの五人暮らしで、先代から歯科医院を経営しており、長男も大学の歯学部に通う歯科医一家であり、勇貴容疑者は歯学部を目指して三浪中の予備校生、亜澄さんは短大に通う傍ら、芸能事務所に所属し、Vシネマや小劇場演劇に出演しながらグラビア・アイドルを目指していた。

 2006年12月30日、母親と長男は東北地方に帰省するために家を出、亜澄さんには後から来るように伝えていた。父親の衛さんは家族とは別に過ごしており、同日、自宅には容疑者と被害者の二人だけだった。勇貴容疑者は亜澄さんを殺害した後、文化包丁とノコギリで遺体を切断、四つのポリ袋に入れ、自室のクローゼットや物入れに分けて隠した。翌31日、父親は大晦日から1月11までの予定で、神奈川県で開かれた予備校の歯学部受験コース合宿に参加。31日昼、父親の車で千代田区の予備校に送ってもらい、家族と別に過ごしていた。父親は31日深夜に帰省していた。事件の発覚を逃れるため、父親には「友達からもらった観賞用のサメが死んだ。部屋に置いてあるが、においがしても開けないで」と言っていた。両親らは2日に帰宅し、2日夜になって遺体を見つけた。亜澄さんは時々外泊するため、出かけていると思っていたという。

 4日、死体損壊容疑で逮捕された勇貴容疑者は、「妹から『夢がない』となじられ、かっとなって殺した」との供述を始めたとされ、1月15日に殺人容疑で再逮捕された。以下、警察、検察での取り調べによって、初公判で検察側の陳述した起訴事実によれば、2006年12月30日の犯行の模様と動機は次のようになる。

 ◇ ◇ ◇

 2006年12月30日午後3時ごろ、自宅には被告と亜澄さんしかいなかった。
 「勇君は自分が勉強しないから成績が悪いと言っているけど本当は分からないね」。居間でテレビを見ていた亜澄さんが被告に言った。
 4度目の受験を控え、プレッシャーを感じていた。「勉強しても無駄」と言われたと感じた被告は、木刀で殴りつけた。
 「何すんの。何かしたかよ。何でたたくんだよ」。そう言い返した亜澄さんの口のきき方にますます腹を立てた被告は、続けて殴った。亜澄さんの付け爪(づめ)は飛び、顔は腫れ上がった。
 被告は以前から、尊敬する両親に反抗的な言動をする亜澄さんに憎悪感を抱いていた。午後4時ごろ、亜澄さんが口にする。「私には女優になる夢がある。勇君が歯医者になるのはパパとママのまねじゃないか」
 被告は「将来、砂漠を買って草を植えてオアシスを作り、環境保護に役立ちたい」という夢があり、資金稼ぎのために歯科医を目指していた。親の敷いたレールの上を走るだけだ――。そう言われたと受け取った被告は憤りを一気に爆発させた。「この口を黙らせるには殺すしかない」とタオルで首を絞め始める。
 以前、ドラマで180秒絞めれば人は死ぬという場面を見た記憶から、1から180まで数えながら絞めた。亜澄さんが呼吸を続けていたため、午後4時7分、浴室に亜澄さんを運んで顔を浴槽の水につけ、時計が10分を表示するまで底に押しつけ続けた。
 家の中の血痕をふき取った。午後6時半から2時間ほどかけ、浴室で包丁とのこぎりで遺体をバラバラにし、四つのポリ袋に分けて自室クローゼットなどに運び入れた。

 ◇ ◇ ◇


《報道と波紋、起訴まで》

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  事件の報道は、イエロージャーナリズムも含めて、かなり扇情的な物だった。まず、武藤容疑者が、殺害した妹の遺体を解体するにあたって、乳房や性器を切り取って食べたとか、ディスポーザーで粉砕したか、妹の下着を予備校の合宿先まで持ち歩いていたというような、いかにもバラバラ事件にありがちな、猟奇的な内容の報道があった。これらの、武藤容疑者の猟奇的な行動については後に、検察が異例のコメントを出す事で否定しているが、祖父の代から歯科医一家という武藤家の中で、短大に在学中から芸能活動を行っていた被害者が、家族の中でかなり浮いた存在であり、加害者である兄とは三年も口をきかないような不仲にあり、また、度々家出や外泊を繰り返していた不良娘のようなイメージが、写真週刊誌やワイドショーなどでこれでもかと報道された。これは、被害者が高峯駆(たかみね・かける)の芸名で芸能活動をしていた為に、Vシネマの映像やブログに貼られたビジュアル素材などが豊富で、マスコミが情報を入手しやすかった事もあったのだろうが、もっぱら加害者である妻のセレブな人生が報道素材となった『新宿・渋谷エリートバラバラ殺人事件』とは対照的に、この事件で扇情的に報じられたのは被害者である武藤亜澄=高峯駆のプライバシーだった。

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 最初は、短大に在学しながら、芸能事務所に所属し、演劇のメッカ下北沢で舞台に立ち、Vシネマにも出演して着実にキャリアを積みながら夢を追いかける少女として肯定的に報道された高峯駆の横顔は、そのうちに、下北沢と云っても、おそらく、駅から最も遠い東演パラータでの僅か四日の公演であるとか、Vシネというのも、殆どHビデオに近いR指定の『くりいむレモン』であるとか云った具体性から、やれ、援助交際をしていた、親の云う事を聞かずに外泊を繰り返していたと云うような情報が、警察から漏れてくる「家族に迷惑をかけ、ヒステリックで恩知らずだ」という勇貴容疑者の供述と相俟って、親不孝な不良娘のマイナスイメージが浸透していった。兄に向かって「夢がない」と云った事に対しても、Web上に溢れた大方の意見としては、「演劇をやっているような人達は、一般の堅実な人達を見下している」というような否定的な意見が大半を占めていた。

 そうした事への反動からか、1月22日付けの毎日新聞には、死人に口なしの亜澄さんを代弁するという形で、「友人」という男性の談話記事が掲載された。

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 この友人は、彼女の相談相手だった芸能プロダクション関係者。彼女は週刊誌やワイドショーで取り上げられた身勝手な存在ではなく、家族に認められようと懸命に努力する女性だったという。
 「いつ死んでも構わない」。それが出会った05年秋ごろの口癖だった。家族との不仲が原因で家出し、交際していた別の男性の生活を世話しながら同居した。その後、自宅に連れ戻されるが、目標を見つけられず、自暴自棄になった。「無気力で暗い」。それが初対面の印象。友人は事件後、テレビに映し出された勇貴容疑者の映像を見て驚いた。出会ったころの彼女とそっくりだったからだ。
 友人は、彼女に目標を与えるために芸能事務所を紹介した。劇団に入ってその魅力を知り、別人のように明るくなった。昨年12月、初めて舞台を経験し、「やりたいことがあるっていいよ」と喜んでいた。
 とにかく家族に認められたいという一心で頑張っていた。けいこが遅くなっても必ず午前0時までには帰っていた。両親が自慢で「お母さんのオムライスが一番好き」と話し、父親から贈られた外国製高級バックをうれしそうに見せる普通の短大生だった。
 勇貴容疑者は、家族で彼女と最も容姿が似ていた。疎外感を持っていた彼女にとって、「似ている兄」は自分が家族の一員であることを証明する存在だった。短大に入って兄を追い越したことも気にしていた。
 また事件直前、現在交際中の男性が、「嫌いなんだから(家族のことなんて)どうでもいいだろう」と話すと、「大好きだからつらいんじゃん」と泣きながら答えたといういう。
 勇貴容疑者は、殺害の直接的なきっかけを、「(亜澄さんに)私には夢がある。歯科医師になるのは人のまねだと言われた」と供述している。その言葉が、彼女の夢を支えてきた友人には重い。「彼女のためになると思ってやってきた。無気力なままだったら事件は起きなかったのか。彼女だってまだ何もやっていないのに」。沈痛な表情でつぶやいた

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 被害者の「友人」というような人物から、このように彼女を擁護する発言が出てくるのはある意味で当然だと私は思ったし、多分、彼女が家族から認められたいと考えていたのも事実であろうと思う。だが、この記事が出た僅か二日後に、この「友人」の発言を真っ向から否定してしまうような手記が、被害者と加害者、両方の親である両親から出された。当時としては、やっと親の声が聞こえてきたという感じだったが、今振り返ると、事件発生からかなり早い段階で出された手記だと言える。

 両親が出した手記の全文は以下の通りである。

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 この度は息子勇貴の事件によって、世間の皆様に対し、大変なご心配をおかけしお騒がせ致しましたことを、紙面をお借りして心よりお詫(わ)び申し上げます。

 私ども家族にとりましては、事件を知ったこの正月3日から今日まで、正直申し上げ、どのくらいの日時が経(た)ったものか、正確には考えられない精神状態でございます。

 娘亜澄の死亡と二男の凶行とがどうしても結びつかないということが、私ども家族の苦しみ悩むところでございます。家族でさえこの情況でありますから、世間の皆様にはご理解できないことは尚更(なおさら)のことと存じます。

 事件から約20日が経ち、警察のお調べが進むにつれて、事実については少しずつ解明されてきていますが、何故息子があれほどまでの凶行をしてしまったのかという点につきましては、未(いま)だに理解できないのです。

 しかし、時間の経過にともない、お陰様で少し落ち着いて考えることができるようになりましたので、現在の心境を少ししたためさせていただきます。

 そこでまず、亜澄と勇貴の関係についてですが、「3年間も口をきかなかったような冷たい関係」と報道されていますが、それは若干事実と違います。亜澄が在籍していた短大の入学についても、勇貴が懸命にパソコンで探し当て、やっと入学期限に間に合ったという経緯からも、兄妹の関係は決して険悪というものではありませんでした。

 しかし、亜澄の他を顧みない自由奔放な性格と言動は、家族から理解されていなかったのは事実です。こうした亜澄の生活態度を見ているうちに、亜澄と一歳しか違わない勇貴は、妹が両親を悩ます元凶と思い込むようになったのではないかと思います。

 また勇貴の性格ですが、優しく、家族に対し暴力を振るったりするようなことは一度もありませんでした。しかし、残念なことに、妹の亜澄は大変気が強く、絶対と言っていいくらい自分から非を認め謝るということのできない子供でした。

 とはいえ、二人とも私たちにとっては掛け替えのない子供たちです。今となっては、何故あの時、亜澄が「ご免なさい」と兄に謝ってくれなかったのか、もし、謝ってさえいてくれれば、兄も我に返り、このような凶行に至らずに済んだのではないか……、と今更ながらせん無い繰り言を繰り返す日々でございます。

 今後私ども夫婦は、生涯にわたり亜澄の霊を弔うとともに、勇貴が一日も早く更生できるように支え続けたいと考えております。

 どうか皆様、私たちがもう少し心の余裕が持てるまでお時間をいただきたく、伏してお願い申し上げ、本手記をお届けさせて頂いた次第です。

平成19年1月24日

武藤衛

武藤洋子

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 この、加害者である次男を庇い、被害者である長女を批判したともとれる両親の手記は当然ながら物議を醸す事になった。
 私は、当時から、祖父の代からの歯科医一家という、この両親には、およそ芸能界に入りたいような娘の事は理解できなかったのだろうと考えていたが、また同時に、どうしてこんな犯行に及んだのか分からないという次男に対して、果たして何処まで理解できていたのか分からないと思った。本当に理解されていなかったのは、次男なのか、長女なのか……或いは二人とも両親からは真に理解されてはいなかったのではないか、と私は思った。

 2007年2月5日、武藤勇貴は殺人と死体損壊のの罪で起訴された。同地検は「犯行直前の被害者の言動に立腹した」と動機を認定。その上で、岩村修二次席検事と小島吉晴特別公判部長が「遺族らの心情を踏まえてあえて申し上げるが、性的な興味や遺体への関心に基づく事件ではない。遺体も全部見つかっている」と異例の説明をした。 小島部長らは、勇貴被告が遺体の一部を食べたり、頭部を抱いて寝たなどとした一部報道について「証拠は全くない」と全面否定した。勇貴被告は、亜澄さんを含む家族に謝罪の気持ちを示しているとコメントした。

 以後、初公判を迎えるまで、この事件の報道は半年程途切れる事となった。

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《公判開始から精神鑑定へ》

 事件の裁判は、2007年7月31日、東京地裁(秋葉康弘裁判長)で始まった。勇貴被告は、「06年12月30日午後4時頃、自宅で亜澄さんの首にタオルを巻いて締め付け、水を張った浴槽内に押さえ付けて沈めて殺害した(殺人罪)。同日午後6時半〜8時半ごろ、首や胴体などを包丁とのこぎりで切断した(死体損壊罪)」という起訴状にある起訴事実を認めた。弁護側は、事実関係を認める一方で、被告の責任能力を争う姿勢を示した。

 初公判では、証人として、被害者、被告双方の家族である両親と長男が証言した。三人は、「家族間の意思疎通があれば事件はなかった」などと悔やみ、寛大な判決を求めた。
 午前中に出廷した父親は、
「家族全体で話を共有できなかった。子供の問題で夫婦のコミュニケーションが欠けていた」「勇貴と亜澄は悪い関係ではなかった。こんなことになるとは。事前に察していればよかった」「家内と私とで足りないところを補い合って、勇貴にもう少し家庭内のことを伝えてやれば良かった。反省している」
と述べた。母親は
「時期が悪かった。亜澄はアルバイトを辞めさせられて機嫌が悪く、勇貴は受験のプレッシャーがあった」
と証言。長男は
「2人の仲は良くなかった」
とした上で、事件前の勇貴被告の様子について
「受験勉強をせずに徹夜でネットゲームに没頭する生活が続いていた」「疲れているようなうつろな目をしていた。頻繁に手を洗う潔癖性だったのに、部屋がちらかり、笑い方や顔つきも変わった」
と明かした。

 8月8日の第二回公判では、武藤勇貴被告に対する被告人質問が行われた。勇貴被告は「なぜ殺さなければいけなかったか僕自身も分かりません」などと述べ、亜澄さんとの関係を「仲は悪くなかった」と説明、妹に対しては「かわいそうなことをした。もっと理解してあげられなかったことを謝罪したい」と話した。凶器の木刀を取りに行ったことについて「シーンは覚えている感じだが、その時の気持ちは思い出せません」と述べた。殺害動機や遺体切断の理由も「分からない」と繰り返した。
「憎しみを募らせていた妹に悪口を言われ、頭に来て木刀で殴った」。捜査段階でこう供述していた武藤被告は、弁護側の質問に「一生懸命つじつまが合うように考えて話した。(捜査員と)一緒に考えることもあった」と答えた。
 動機については「(妹の言葉は)怒りを爆発させるような言葉でもないし、自分でも理解できない」。犯行当時の感情も「燃えさかる怒りでもしけっぽいのでもなく、もっとドライな、通常の感じ」と述べた。
 遺体の切断状況については、武藤被告はいくつかの「情景」は記憶していると説明。手順や道具を具体的に述べた供述調書の内容は「取り調べでマネキンを持ってきて頂いて、物差しを片手に一生懸命考えたが実際はわかりません」と話した。
遺体の損壊の理由について、担当検事から、
「1.隠すため、2.憎しみ、3.性的興味の三つの中から選べ」
と求められ、
「3はない、2は捨てきれないけど1にした。特に隠す事は考えていなかった」
と証言している。
 そして、妹の関係について、
「仲は悪くなかった。毎朝同じ電車で登校していた。仲が悪かったらそんな事は出来ない。高校の時、妹の誕生日にケーキを焼いてあげた事がある。きつい事を云われても頭に来た事はない」
という証言をしている。
 また、弁護側からの、
「初日の出をどんな思いで見ましたか?」
という質問に対しては、
「家に戻ったら妹が元通りになってくれていればいいと思いました」
とも答えている。
これらの証言内容から、秋葉康弘裁判長は弁護側が申請していた精神鑑定を採用した。 閉廷後に会見した弁護人も「これだけ深刻なことをやったが、本人が動機を理解していない」と述べ、鑑定の採用を評価した。また、「被害者である亜澄さんの性格や言動を批判する事で、被告の量刑を軽くする事は意図していない。また、それは家族の意向でもない」 とコメントした。

 8月30日、東京地裁は勇貴被告の精神鑑定の鑑定人に東京女子大の牛島定信教授(精神医学)を指定した。弁護側は被告の刑事責任能力について争う方針だが、地裁は責任能力の有無の鑑定は求めず、情状面の判断に必要な「犯行時と現在の被告の精神状態」「犯行時と犯行前後の被告の心理状態」を鑑定項目とした。

 以後、2007年11月26日現在、被告に対する精神鑑定が継続していると思われ、公判は中断しており、その後の報道もされていない。

   ※

 さて、第二回公判での被告人質問での証言が事実なら、
「かねてから尊敬する両親に対して反抗的な態度をとり続けてきた妹に憎悪の念を抱いていた被告が、『勇君には夢がない』と云われた事で憎しみが爆発して発作的に犯行に及び、犯行の隠蔽のために遺体を切断した」
という、警察、検察、並びにマスコミも含め、両親のそれを肯定するような発言も手伝って、誰もが信じてきた事件のシナリオがひっくり返ってしまった事になる。
 勇貴被告が犯行の詳細やその動機について覚えていない、思い出せないという事について、一部の人達が指摘するように、心神喪失や心神耗弱のふりをして、刑を軽くしようとしているふざけた行動だとは私は思わない。しでかしてしまった事の大きさそのものと、逮捕され、留置された事による拘禁ノイローゼから解離性障害を発症し、解離性健忘によって、犯行当時の記憶が欠落してしまったのだという可能性も勿論ある。と同時に、犯行時点で勇貴被告が、自分の犯行の動機や詳細について、明確な殺意すら持たずに犯行に及んでしまったという可能性も捨てきれないと思う。だとすれば、この事件に対して、これまで持っていた先入観は全て捨てて考え直さなければならなくなるかも知れない。
 いずれにしても、両親の出した手記、その他、法廷の証言でも、高峯駆であったところの武藤亜澄は武藤家の中では異質な存在であり、その他の家族のストレスとなっていた事は確かだろう。当然、勇貴被告も例外ではあるまい。だが、同時に、高峯駆という異物を生み出してしまったのは、武藤家の人々が武藤亜澄という人格に対して与えていたストレスであろう。
 家族内殺人、しかも子供世代の兄による妹殺しであるから、手記を発表した両親、武藤衛と洋子夫妻は、被害者の遺族であると共に加害者の親である。そして、世間が、「妹が可愛そうではないか」と云おうと、「妹も悪い」と云おうと、その妹を育て、妹を殺した兄を育てたのも同じ両親である。彼らは二重の苦しみを背負っている訳だが、この事件の背景、真実が追究されるのが法廷という場であるとしたら、裁かれるのは勇貴被告一人ではない。両親が、殺されてしまった妹が、そして長男も含めて、家族全員が裁かれてしまう事になるだろう。
 そしておそらく、その裁きは司法の場に留まるという事も無いだろう。私のような人間も含め、世間の関心と多様な発言から逃れる事も出来ないだろうし、メディアリンチが起こる可能性もまだ無くなってはいない。いずれにしても、精神鑑定の結果が出ればその鑑定結果をめぐって、公判が再開されれば、その内容をめぐって、マスコミも世間もこの事件について再び口を開くだろう。高峯駆こと武藤亜澄が何故殺されたのかについて、様々な言葉が発せられるだろう。そしてそれを封じる事は誰にも出来ない。
 私も、現時点では憶測する事しか出来ず、無責任な世間の声の一つである事の罪を承知の上で考えてみよう。武藤家に何が起こったのか、武藤兄妹に何があったのかについて……

(続く)

(続きを読む→http://kurenaiking.at.webry.info/200711/article_8.html

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