紅王の宮殿・野中友博公式ブログ

アクセスカウンタ

zoom RSS 【殺人者達の履歴書−4】 『我が名はレギオン』公開創作メモ−6

<<   作成日時 : 2007/11/20 23:58   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 11 / トラックバック 1 / コメント 2

 公開創作メモ第六回。【殺人者達の履歴書】の四回目。今回の考察対象は、付属池田小事件の宅間守、秋田連続児童殺害事件の畠山鈴香、新宿・渋谷エリートバラバラ殺人事件の三橋歌織である。

画像


【殺人者達の履歴書−4】

《ケース7−宅間守》

画像

 宅間守は、単独犯としては戦後再凶最悪の大量殺人者であり、21世紀最初の無差別殺人者として知られている。
 2001年6月8日、当時37歳の宅間守は、大阪府池田市の大阪教育大学附属池田小学校に乗用車で乗り付け、校舎1階の教室外側のテラスの引き戸を開けて侵入。刃渡り約15センチの出刃包丁を振り回し、逃げる児童らを追いかけ、約15分にわたって四つの教室と廊下で児童や教諭を1人ずつ刺していった。教諭2人を含む23人が首や背中などを刺され病院へ運ばれたが、2年生の女子7人と1年生の男子1人が死亡、教諭1人を含む7人が重傷、教諭1人を含む8人が軽傷を負った。宅間被告は教諭ら2人に取り押さえられ、池田署員が殺人未遂容疑の現行犯で逮捕した。犯行現場となった四つの教室とその周辺には、傷つき、倒れた多数の児童と、その小さな体から流れた大量の血液によってこの世の物とは思われぬ凄惨な光景を呈していた。宅間は殺人罪などで逮捕・起訴され、2003年8月28日に大阪地方裁判所で死刑判決を言い渡された。同年9月10日に弁護団が控訴するも、9月26日に本人による控訴取り下げがあり、判決が確定した。

 宅間は1963年11月23日、兵庫県伊丹市に生まれた。両親は共働きの為、4歳の頃まで祖父母の家で養育されるが、その後父母の実家に帰っている。以後、小学校、中学校と通うが、父からは厳しく接せられた。時には父親がスパナを持って追い回し、子供の頃の宅間は母親の影に隠れる一面もあったという。宅間は、逮捕後に父から長年虐待を受けて性格が歪んだかのような発言をしており、検察側、弁護側もこれを否定しなかった。
 小学校時代の宅間は、近所の人によると、「はきはきと挨拶をする子供」「学習塾に通ってて頭は良かった」と肯定的な意見が多かったが、同級生によると、「些細な事ですぐカッとなっていた」など、ネガティブな意見が多かったという。自分より強い者からは暴力を受けていたが、逆に弱者に対しては攻撃的だった。つまり、弱い者イジメを好んだのである。
 大阪教育大学付属池田中学校に進学することを両親に頑なに断られたことが原因となったのか、こうした環境や前途に悲観したこともあってか、宅間は小学校卒業直前になってからうつ病を発症するようになり、それでいて徐々に自棄気味の行動が散見されるようになる。高校で教師に対して1度暴力事件を起こしたり、中学時から特に動物虐待を行ったり、という証言も見られた。こうしたことが災いしてか、17歳で高校を退学となる。また現実からの逃亡を図り、家出をするなど厭世的な行動も目立っていた。その後精神科にも通院するが、18歳で心機一転航空自衛隊に入隊し、浜松基地に配属されるが、19歳になる前後、家出した少女と寮で同棲したことにより、事情聴取を受け除隊(諭旨免職)処分になってしまう(ちなみに諭旨免職時のポストは空士長だった)。
 以後は、運送業をしたり、不動産会社に就職したりと職を転々とした結果、28歳で伊丹市役所の非常勤職員となり、以後7年間勤務することになるが、家族との関係もうまくいかず、見つかるまで父に隠れて母親と同居し、それが発覚すると、父親とスコップでちゃんばらをするなど変わった生活もしている。性格は一層すさみ、女性宅に侵入して強姦したり、後述の3番目の妻に対してストーカー行為をしたり、運転手に対して暴行するなど、児童殺害をするまでに少なくとも14回の逮捕をされている。結果、強姦事件では3年の実刑判決を受け、父親からは勘当される。伊丹市職員となるのは刑期満了で出所してから1,2年後のことだった。
 家庭面では、以後、4回の結婚を繰り返すが(うち最初の2回は自分より大幅に年上の45歳以上の中年の女性(うちひとりは作家の小松左京の実妹であり小学校時代のクラスの担任。パイロットになりたいのなら大阪教育大学付属池田中学校に進学するよう宅間に勧めた張本人でもある)と、3回目は自分より2歳年上の女性と、4回目は3歳年下)、初回は結婚時の経歴詐称が原因で、2度目は逮捕が原因で、3度目はその前後に養子縁組を解消した老女が乗り込んできて、妻に彼の負の一面を洗いざらい話し、妻自身も「同じような経験がある」と同意したことが原因で、4度目はできちゃった婚で結婚するも、彼自身の素行が原因で長くは続かず、後に離婚している。
 そんな中、兄も弟からのいじめを苦にしたことはもとより、離婚したり事業が失敗したのが原因で自殺する。2001年6月6日には、自宅アパートに闇金融からの電話や滞納した家賃などの取立てがあり、その後父親に金を貸してくれと頼んだが冷たくあしらわれた。家庭的にも経済的にも全ての面で行き詰った彼は、小学校卒業直前以降四半世紀近く抱えていたうつ病の症状も相俟って「自殺してもどうせ生還することは分かっているので、大量殺人をして死刑になろう」という絶望的で自暴自棄的な考えから、2日後の6月8日、大阪府池田市の大阪教育大学附属池田小学校に侵入し児童8人を殺害、児童13名と教諭2名に傷害を負わせる凶悪事件を起こし、殺人罪などで逮捕・起訴された。
 裁判での証言(第2回公判以降)によると、「下関通り魔殺人事件の模倣犯になりたかった」という意思が明らかとなっている他、裁判長に対して「おう、座っちゃあかんか?」「世の中の不条理さを分からせたかった」「幼稚園ならもっと殺せた。死ぬ事には全くびびってない」「30秒あれば1人殺せる。かかってこい。」など、悪態をついていた。
 その後、2003年8月に死刑が確定し、2004年9月14日死刑が執行された。
 宅間は高校時代から自殺願望が強かったこともあり、死刑確定後は早期の死刑執行を望んでいた。宅間は「死刑は、殺される刑罰や。6ヶ月過ぎて、いつまでもいつまでも、イヤガラセをされる刑罰ではない。すぐ殺せば、ダメージがないので、しばらくイヤガラセをしてから執行する。そんな条文が、あるんか」と主張していた。宅間は死刑が6カ月以内に執行されないと、精神的苦痛を理由に国家賠償請求訴訟及び野沢太三法務大臣(当時)に対する特別公務員暴行陵虐致傷罪での刑事告訴を起こす準備をしていた。宅間の死刑執行は確定からほぼ1年後の事であったが、これは異例の最速の執行であった。
 なお、宅間は処刑の際、自ら1人だけの足で絞首台に向かったため、事実上首つり自殺したと言える。

……以上、Wikipedia、その他より引用、加筆。



 宅間守は両親と愛情による関係を築けず、虐待を受けて育った。母親の役割は祖母が果たしていた。これらの歪んだ親子関係、虐待の経験と云った生活史は、宅間に限らず多くの殺人者に共通している。だが、宅間守の付属池田小事件が注目を集めたのは、幼い子供達を無差別に残虐な方法で殺したという事件の凄惨さもさることながら、裁判の争点ともなった、宅間守に対する責任能力が認められるかという、殺人と精神病の問題だった。宅間は、生涯に何度も統合失調症の診断を受け、数度の入院歴があり、池田小事件以前の強姦、暴行などの前科の幾つかが、精神の病を理由に起訴猶予になった事があるという経緯から、この事件も、心神喪失や心神耗弱を理由に無罪判決や減刑が行われるのではないかという、被害者遺族や世間の人々にとっては納得しがたい判決が出る可能性が予想された事である。

 それ故、この事件をきっかけに、心神喪失と認められ、無罪あるいは不起訴処分となった者に対する処遇のあり方について議論された。それまでは、精神障害者に対して司法機関が関与して処遇が行われることは、保安処分として極めて抵抗感が強かったが、この事件以降に「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」が制定された。保護観察所に社会復帰調整官が置かれ、社会復帰調整官が中心となって医療観察が実施されることとなった。「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」というのは、簡単に言えば、犯罪を犯した精神病者を、指定された精神医療施設に収容し、再犯のおそれがないと診断されるまでは拘束し続ける事が出来る法律で、事実上の終身刑にもなりうる法律である。精神医学界は、それまで、単に狂人を監禁するという非人道的な状態からの脱却を目指していたが、この法律の施行によって、精神医学界の人権擁護は大きく後退し、先祖返りをする事になった。

 にもかかわらず、多くの人々が、宅間守の心神喪失、心神耗弱は詐病であり、刑を免れるために病気のふりをしていたのだと考えている事も事実だ。これは特に、積極的な死刑存置論者に顕著である。彼らは、宅間守が自殺願望から無差別殺人によって死刑になる事を望んで犯行に及んだ、即ち、死刑制度には殺人を助長する一面があるという説に対して反論したいために、宅間守はあくまでもまともであり、精神病を装うために、あえて「死刑になりたかった」と発言したのだと主張したいのである。

 「殺人者精神病」の概念の提唱者、福島章は、自著『犯罪精神医学入門』の中で、ほぼ半分のページを宅間守の分析に割いている。福島にとって、宅間のケースは、宮ア勤について三つに割れた精神鑑定結果と共に、「殺人者精神病」という概念の根拠となっている。福島の分析に従えば、宅間守には、脳の障害に起因する様々な人格障害の症状が確認でき、妄想性人格障害による被害妄想やアスペルガー障害による情緒的な欠損があり、子供の頃から他罰的で悪い事は自分のせいだとは考えなかった。おそらく、それらの人格障害は、先天的な脳の欠損と、父親から受けた暴力的な虐待の両方に起因していた。彼が度々統合失調症の診断を下されたのは、宅間自身の詐病による誤診であったかもしれないし、全く統合失調症の要素がなかったとも言えないと思われる。所謂、分裂病質という統合失調質人格障害もあったのだろう。また、三番目の妻に対する執拗なストーカー行為を見ると、境界性人格障害でもあったかも知れない。つまり、宅間は、様々なパーソナリティー障害を併せ持っていた状態で、統合失調症の診断から処方された向精神薬の影響もあって、健常者とはかなり異なるパーソナリティーを持っていたであろう事は否定しようがない。

 付属池田小事件の裁判の争点は、宅間が起訴事実を全て認めたために、彼に責任能力があるかどうかと云う事に絞られていた。弁護側は「人格と精神の障害が合わさった複合的精神障害で、心神喪失か心神耗弱だった」と事実上、無罪か刑の減軽を求めたが、起訴前と公判段階での2度の精神鑑定で、ともに責任能力が完全に認められ、川合裁判長は、争点だった刑事責任能力を認めたうえで、「自己中心的な犯行」と求刑通り死刑を言い渡した。責任能力を認めた2回の精神鑑定を援用しながら「精神疾患の影響はなく、刑事責任を問うのに十分な責任能力を備えていた」と認定した。問題は、「人格障害は精神疾患ではない」とする現在の精神医学の認識と、それに従った司法の精神鑑定の解釈にある。宅間守に死刑判決が下されたのは、統合失調症による心神喪失や心神耗弱が認められず、良くある人格障害であるから責任能力はあると認められたからであり、同様に、宮ア勤も統合失調症や多重人格の鑑定が退けられ、人格障害の鑑定が採用されたからだ。だが、この両者を福島の提唱する「殺人者精神病」という疾患だと考えると、裁判の判決をどう考えるべきかが全く変わって来る。

 実は、私は宅間守という人物にそれほどの関心を持っていない。事件は悲惨な事この上なく、しでかした事に対する情状酌量の余地はないとも思う。虐待や挫折と云った不幸な生活史はある物の、宅間は幼少期から、おそらく被害者である事よりも加害者である事の方が多かった。言動が極めて自己中心的であり、それらの性格を培った物が、脳の先天的な変異なのか、それとも虐待の結果なのかは分からないが、彼が永山則夫や宮ア勤、酒鬼薔薇聖斗、また、造田博や関光彦以上に不幸であったとは思えない。私は割と多くの殺人者の不幸な生い立ちに同情したりする方だが、宅間守には同情や共感を感じた事がない。彼に対して関心があるのは、嘘か真か、死刑になりたくて犯行に及んだという動機、そして「殺人者精神病」のサンプルとしてのみだ。

 今一度、福島章の殺人者精神病の概念と、その殺人に至る過程を振り返ってみよう。

 典型的な殺人者の多くは、
1)脳に微細な点で健常人とは違った変異(MiBOVa)を持って生まれ、かつ/または、
2)少時に過酷な虐待、心的外傷を受けて育つ。
 いずれにせよ、彼らは、
3)平均的な人とはかなり違った性格を持ち、場面によっては低水準の自我の防衛機能を働かせ、
4)多彩だが非定型的な《精神症状》を示しつつ生きることも多い。
 さらに、その彼らが環境との間に深刻な葛藤や不適応を生じると、
5)時には強い《自殺願望》を抱くこともあるものの、
自らの死を果たす代わりに/または自らの死を招くために、
6)人を死に至らしめる、
と考えられる。

 ……宅間のケースは、まさに福島の分析する典型的な殺人者のパターンに見事に合致している。

 結局、宅間守は自分の破滅願望を満たす形で死んだ。死刑制度も裁判も、ついに彼に悔悛させる事も謝罪させる事も出来なかった。単に、凶悪な殺人鬼をこの世から永遠に排除する事が出来たという事以外に、司法と死刑制度の果たした役割はない。そして、その死すら宅間の望んだ物であったとしたら、司法も死刑制度も、最凶最悪の殺人鬼の欲望を満たす事しかしなかったという最悪の結果だけが残った。


《ケース8−畠山鈴香》


画像

 畠山鈴香は、2006年に起きた「秋田連続児童殺害事件」の被告として、2007年11月19日現在、公判が継続中である。事件当時、彼女は33歳、当時小学校四年、9歳の実子、畠山彩香ちゃんと、当時、小学校一年、7歳の米山豪憲君を殺害した容疑で起訴された。現在、鈴香被告は豪憲君の殺害は認めたものの、実子、彩香ちゃんに対する殺意を否定しており、豪憲君殺害当時の自分の精神状態についても、正常だったかどうか自信がないと述べている。

 2006年4月9日夜、畠山鈴香は長女の彩香ちゃんが外出したまま夜になっても帰宅しないと110番通報した。翌、10日、彩香ちゃんは自宅から10キロ離れた川で水死体となって発見された。秋田県警は当初、彩香ちゃんの死因を事故死と判断したが、鈴香被告は「長女を事故だと断定した警察に不信感がある」として、自らで長女の消息を求めるビラなどを付近に配布するなどの行動を起こしている。ただ、これには、孫の彩香ちゃんを溺愛していた、鈴香被告の実母の意向が大きかったとも云われている。
 5月17日、午後3時、米山豪憲君の友人が、約束の時間になっても、約束場所に現れないことが心配となり、自宅に行ったところ、豪憲君が直前に下校途中に別れてから、自宅に帰っていないことが判明。午後5時過ぎ、家族が秋田県警に捜索願を提出した。5月18日、午後3時、能代市の市道脇で、ジョギング中の男性が豪憲君の遺体を発見。秋田県警では、遺体の状況から殺人事件と断定し、捜査本部を設置。司法解剖の結果、豪憲君の死因は首を絞められたことによる窒息死と判明する。
 秋田県警では当初事故と判断していた彩香ちゃんのケースに対しても、1ヶ月の間に二人も亡くなっていることに疑問を抱き再捜査を始めた。上記のような鈴香被告の供述からこれは事故ではなく事件だと断定され、秋田県警の初動捜査ミスが指摘されるようになった。その頃、鈴香被告は娘を失った哀れな母として、また、子供を亡くした同じ親としての悲しみや警察に対する批判をテレビのインタビューに応じて語っていた。
 6月5日、捜査本部は、畠山鈴香を、米山豪憲君の死体遺棄の疑いで逮捕。鈴香の自宅からは血痕や、豪憲君のものとみられる体液も分析の結果発見され、有力な物証とみている。6月6日に、畠山容疑者は豪憲君の殺害をほのめかす供述を始め、6月25日、彼女は豪憲君殺害容疑で再逮捕された。
 7月14日、畠山容疑者は、4月に起こった彩香ちゃんの水死事件に関して、「一緒に魚を見に行った際、橋から転落した。気が動転して助けを呼ばなかった」と供述。これまでの「彩香は『(豪憲君に)人形を見せに行ってくる』と言ったきり戻ってこない」という供述を自らが覆す。翌、7月15日、「長女を橋からつき落とした」と供述、7月18日、鈴香は彩香ちゃん殺害容疑で再逮捕される。同日、秋田地検は米山豪憲君殺害容疑で畠山容疑者を起訴。8月9日、彩香ちゃん殺害容疑で追起訴した。前日、鈴香は「なんで私が犯人なの?」などと今までの自身の供述を自身で真っ向否定する供述をしている。

 この事件では、鈴香が身を寄せていた実家にメディアが殺到し(メディアスクラム)、一部メディアは鈴香が外出する際に追走したりし、周辺住民の間からもメディアの取材に対する苦情やトラブルが相次いで起こった。このメディアスクラムは、1994年に起こった松本サリン事件や1998年に和歌山毒物カレー事件でも問題になったが今回の事件ではこれらの教訓が全く生かされなかったとの指摘も出ている。
 また、逮捕される前から畠山鈴香に関するプライバシーが、週刊誌を中心にセンセーショナルに報道された。高校生時代の卒業アルバムがテレビで公開され、彼女が高校時代にいじめに遭っていたとも取れる寄せ書きが卒業アルバムに記載されており、畠山鈴香の母校や同級生に対して非難が殺到した。ちなみにその卒業アルバムには鈴香の将来として「自殺・詐欺・強盗・全国指名手配・変人大賞・女優・殺人・野生化」と書かれていた。
 だが、この事件は「狭い田舎の町で短期間で二人もの子供が亡くなる」という特異性や、地元住民などはもとから「長女の死は事故ではない」と考えていた。報道各社は加熱取材を冷まそうとしていたが、報道各社のサツ回りの中で「実は長女の母親が捜査線上に浮かんでいる」という情報を警察関係者から聞き、ある1社が抜け駆けて紙上で「長女の母親犯人説」を大々的に掲載した事がきっかけだった。

 現在公判中の被告人である畠山鈴香に対する世間一般の印象は、おそらく「嘘つきの人でなし」という物であろうと思われる。いけしゃあしゃあと悲劇の母親を演じていたのに、実は犯人だった。逮捕後にも供述をコロコロ変え、公判でも極刑にして欲しいと云いながら、黙秘したり供述を変えたり、精神異常を理由に罪を軽くしようと嘘をついている、等々……

 彼女は単なる虚言癖の女なのではなく、演技性人格障害が疑われる。境界性人格障害や解離性障害を併発している可能性もある。私は、彼女の供述がコロコロ変わったり、辻褄の合わない供述をする事に対して、悪意や自己保身に基づく嘘というよりは、人格障害や解離性障害に起因する病的な反応だと思っている。 彼女が「覚えていない」と供述する、豪憲君への殺害動機、また、彩香ちゃんを殺意を持って殺したのか、それとも反射的な行動で川へ落とす事になってしまったのか、それが解離性健忘に起因するなら、本当の事はもう分からないかも知れない。
 ただ、宮ア、造田、宅間のケースと同じく、畠山鈴香に対しては、犯行時の心神喪失、心神耗弱を根拠とする無罪判決や減刑は無いであろうと思う。私は、鈴香も彼らとは別の意味で病気だと思っているが、同時に、永山則夫や関光彦がそうであったように、「愚者の犯罪」を犯した殺人者でもあると思っている。
 いずれにしろ、彼女の口から真実が語られる事はもう無いのかも知れないが、彼女の生育歴を考えれば、畠山鈴香の犯罪はそれほど難しい物ではない。虐待の経験とイジメの経験が、死に至らしめるまでの我が子虐待と弱者に対する危害という形で連鎖してしまったのだとしたら、それはあまりにも分かりやすい図式だと言えるだろう。なので私の関心は、何が畠山鈴香というぶっ壊れた人間を作り出してしまったのか、それにつきる。

 畠山鈴香が級友達からイジメを受けるようになったのは、奇しくも娘の彩香ちゃんの享年と同じ9歳の時だったという。夜の仕事をするようになった鈴香の母親は、鈴香に対する育児を完全に放棄したと云われている。鈴香はろくに風呂にも入れてもらえず、髪の毛はフケだらけで、襟元や袖口も油まみれ、汚れまみれであったという。閉鎖的な地域社会の子供達の共同体の中では、バイキンとかエンガチョー扱いされてイジメを受けるのは当然の成り行きだった。この頃から、快活だった彼女の性格が一変したという話が地元では良く聞かれるという。小学校での彼女のあだ名は「心霊写真」であった。
 中学、高校になってもイジメやシカトはエスカレートし続けたようだ。彼女は不良グループのパシリのような役をさせられていたようだが、決して同等の仲間ではなかった。親が不在の彼女の家が、学校からほど近い溜まり場として重宝されていたからと云うのが、鈴香がグループに加わっていた事の唯一の理由だったようだ。
 マスコミに公開されて物議を呼んだ高校の卒業文集、鈴香に対する寄せ書きには次のような文言が並んでいた。

会ったら殺す!
顔をださないよーに!
もうこの秋田には帰ってくるなョ
秋田から永久追放
秋田の土はニ度とふむんじゃねぇぞ
戦争に早く行け
はな声なおせよ
あと二度と会うことはないだろう
元気でな。ビューさは来るなよ。
いつもの声で男ひっかけんなよ
山奥で一生過ごすんだ!
帰ってくんなョ
小学生のころからあんたと私は馬が合わないらしい。それはそれでいい思い出だけどな。
今までいじめられた分、強くなったべ 俺達にかんしゃしなさい。
やっと離れられる 3年間はちょっと・・・

 鈴香は、能代の高校卒業後、栃木県内の鬼怒川温泉にあるホテルで仲居として就職したが、二年で辞めて秋田に戻った。男を知った事で鈴香は変わったとも云われている。いじめられっ子だった彼女は、セックスを通じてのみセルフアイデンティティーを維持する女へと変わっていた。
 1995年、21歳で結婚、24歳の時に彩香ちゃんを生んだ。しかし、家事は一切やらず、パチンコ三昧の毎日で借金ばかり作っていたことにダンナも愛想をつかして、家を出て行ってしまった。彩香ちゃんが生まれて半年後に離婚した。離婚原因には、鈴香の夫に対する逆DVがあったともいう。
 離婚後は、スーパーやパチンコ店、さらにはスナックでホステスをやったかと思えば、宴会のコンパニオン、そして生命保険の営業外交員など、職を転々としていった。保険外交員の時は、色仕掛けで寝取って契約を取っていたという。しかし、パチンコ癖は治らず、さらに夜遊びも重なって自己破産した。町営の朝日ヶ丘団地の家賃はもちろん、公共料金も滞納する始末で家庭生活はメチャクチャだった。彩香ちゃんは、家ではカップラーメンとかろくなものを食べさせてもらえなかった。だから、学校の給食の時間が一番の楽しみだったという。
 2005年の暮れまで能代市内のデリヘルで働いていた。馴染みの客は自宅に呼んでいた。客の男を自宅に連れ込むときは、彩香ちゃんを外に追い出していた。見かねた近所の人が家に上げて、食事をさせてやったこともたびたびあったようだが、孫を溺愛していた実母に度々意見されていたようでもある。とにかく、鈴香の育児放棄、虐待は近所でも知られていた。彩香ちゃんは、汚れたままの衣服で学校に通っていたという話であるが、それは鈴香自身が実母から受けた育児放棄、虐待そのものの写し絵だった。それだけに、鈴香には孫を溺愛する母が許せなかったという。

 畠山鈴香が、「殺人者精神病」に該当するのかどうかは分からない。ただ、度重なる虐待とイジメが、幼少期からゆっくりと畠山鈴香という人格を破壊していった事は否めない。彼女が犯した犯罪は許される物ではないだろうが、その彼女を作り出したのは、彼女を虐待した親であり、イジメを繰り返した級友達であり、信じられない言葉を卒業文集に残す事を放置した教師……いわば地域社会と共同体がよってたかって畠山鈴香という怪物を作り出したのだと云ったら言い過ぎだろうか?
 彼女の裁判がどうなるのか、今はまだ分からない。彼女が裁かれねばならない事は間違いないが、彼女をここまで追い込んだ人々の同調圧力や村社会的なイジメは裁かれずに終わるだろう。それが放置されれば、この先、第二第三の鈴香が現れても不思議ではないのである。


《ケース9−三橋歌織》

画像

 2006年12月16日、新宿区西新宿の路上でビニール袋に入った上半身だけの遺体が見つかる。当初は、歌舞伎町に近い西新宿という土地柄、被害者を外国人と断定し、暴力団関係者・中国系マフィアなどによる犯行という見方が多かった。同28日、渋谷区の空民家の庭で下半身のみの切断遺体が発見。この下半身遺体と、西新宿で見つかった上半身遺体のDNAが一致し、遺体は外資系不動産投資会社員の男性、三橋祐輔さん(当時30歳)と判明した。最初の発見から約一ヶ月経った2007年1月10日死体遺棄で容疑者逮捕。逮捕されたのは、被害者の2歳年上の妻、三橋歌織であった。逮捕後、町田市の芹ヶ谷公園で頭部を発見。手首はゴミと一緒に捨てたと供述している。

三橋歌織は新潟県内の進学校から白百合女子大学へ進み、父親が会社を経営する資産家の令嬢である。大学在学中はキャビン・アテンダントを目指していたが適わず、卒業後はコンサルタント会社で派遣社員をするなどして生計を立てていた。
 2002年11月、歌織は合コンで三橋祐輔と出会い意気投合、弁護士を目指し、法律事務所でアルバイトしていた祐輔が歌織の住む高級マンションに転がり込む形で同居を始める。アルバイトで月、十数万円の収入しか無かった祐輔との生活を歌織が支えていたとも云われている。翌年3月、二人は結婚、金銭的な理由から式は挙げなかった。祐輔はアルバイトで稼いだ金でシルバーの指輪を買い、歌織に贈った。
 が、二人の蜜月は長くは続かず、結婚後半年で夫婦間には口論が絶えなくなった。生活のために弁護士になる事を諦めた祐輔は、そんな状況から逃れようとするかのように仕事に打ち込み、転職を重ねた後に、2005年、モルガン・スタンレー系列の不動産投資会社に就職、一千万を超える年収を手にするようになり、事件現場となった渋谷区内の高級マンションに暮らすようになった。生活環境の向上は、裕福な家庭に育ち、虚栄心の強い歌織を満足させたが、一方で、夫婦の力関係は夫の側に大きく傾き、祐輔の言動によってしばしばプライドを傷つけられた歌織は、鬱屈した感情を抱え込むようになった。
 また、二人の間には口論だけで無く祐輔の歌織に対するDVもあり、複数の知人がその事を証言している。そればかりか、2005年6月、両頬を殴られ、鼻の骨を折られて顔を大きく腫らした歌織が目黒区内の病院で治療を受け、病因からの通報を受けた警官が、夫のドメスティック・ヴァイオレンスに原因である事を確認し、一時的に歌織を保護している。その際、訴訟を起こすかどうかを尋ねられた歌織は、家族内の事なので訴えないと云って帰宅している。しばらくの間は暴力は収まったが、最早、夫婦の関係は冷え切っていた。
 既に夫婦関係の修復は望めず、離婚は時間の問題と思われたが、歌織は離婚で全てを精算しようとは考えていなかった。後に歌織はこう供述している。
「何度も離婚を考えたが、これまでの仕打ちに慰謝料を貰うだけではおさまらない」

 凶行は2006年12月12日未明に起こった。酔って帰宅した祐輔と歌織は例によって口論となり、歌織が離婚を仄めかし、慰謝料のことを口にすると、祐輔は「慰謝料はやらない。給料もやらない」と拒絶した。午前6時頃、歌織は、リビングルームに敷いたマットレスで寝ていた祐輔の後頭部を中身の入ったワインボトルで数回殴って撲殺した。後に発見された祐輔の後頭部は粉砕骨折しており、歌織の憎悪の凄まじさが伺われる。

 おそらく、歌織の祐輔殺害そのものは、積もり積もった憎悪が爆発した発作的、衝動的な犯行だったであろうと思われるが、犯行直後に冷静さを取り戻したのか早々に隠蔽工作に着手している。
 まず、12日早朝に祐輔の勤務先に電話し、彼が帰宅しなかった事を伝えて出社の有無を問い合わせた。また、同日、自宅近くの生花店で大量の培養土を購入し、鏡付き衣裳ケースを倒して中に培養土を敷きつめ、遺体を入れた。その際に、遺体の重さに一人で運び出すのは無理と考え、切断してバラバラにする事を思いつく。顔や手を見つからないところに捨てて、身元の特定を防ごうとも考えた。
 14日、折りたたみ式ノコギリを使って、衣裳ケース内で祐輔の遺体を切断。
 翌、15日午前9時頃、夫が12月11日に出勤したまま帰らないと代々木署に家出捜索願を提出し、届け出が遅れた理由については、夫婦の不仲と、これまでにも何日か帰宅しない事があったと説明した。しかし、マンションの防犯ビデオには12日早朝に帰宅する祐輔の姿が映っており、この稚拙な嘘が後の逮捕の決め手となる。また、祐輔の身体的特徴についても、「大きな病気をしたために胸に手術の跡がある」と、すぐばれるような嘘をついている。同日夜、遺体の上半身部分をキャリーケースに入れてタクシーに乗り、運転手ににおいを指摘されると慌ててタクシーを下車し、西新宿の路上に遺体を放置する。
 16日、遺体の下半身を渋谷区神山町の民家の庭に、頭部を町田市の公園内の雑木林に遺棄、この日の朝、祐輔の上半身が発見されている。
 17日と21日、祐輔の失踪に疑念を持った友人が歌織と電話で話している。それで危機感を感じたのかどうかは分からないが、埼玉のリフォーム業者に、壁、天井、床などのリフォームを発注した。綺麗だからリフォームは必要ないという業者に対して、一週間後、無理矢理施工させている。
 2007年、1月4日、事件の痕跡を消すためにセメントを購入。
 1月9日、祐輔が生きていると見せかけるために、祐輔の携帯から高校時代の友人にメールを送信、翌、10日に携帯電話を処分するが、この日、歌織は死体遺棄容疑で逮捕された。
 31日に殺人容疑で再逮捕され、2月21日、殺人と死体損壊・遺棄の罪で起訴された。

 この事件は、犯人が白百合卒のお嬢様であり、被害者が外資系企業に勤めるエリートであるという事から、セレブの犯罪として注目され、「新宿・渋谷エリートバラバラ殺人事件」と呼称されている。また、同時期に、後に取り上げる「渋谷短大生遺体切断事件」が起こっているため、同じバラバラ殺人事件として比較された。公判が開始されたという報道はなく、逮捕、起訴後の情報は2007年11月20日現在、新たな物は無い。

 バラバラ殺人については、別項で再考察するつもりだが、世間がその異常さに眉をひそめるという一般的な反応に反して、バラバラ殺人の多くはそれほど猟奇的な物ではない。宮ア勤や酒鬼薔薇聖斗の遺体の切断や損壊には、ある種の快楽殺人の部分や、儀式めいた狂気が散見されるが、殆どのバラバラ殺人事件は、遺体の処理と隠蔽工作の為の事後処理であり、殺人の後片付けに過ぎない。三橋歌織の遺体損壊は、典型的な犯行の隠蔽と秘匿のために行われた物だ。
 従って、殺人者としての三橋歌織は、快楽殺人者でも確信殺人者でもなく、典型的な葛藤殺人者である。つまり、就寝中の夫を頭蓋骨が粉砕骨折するまでの憎悪を持って撲殺した、その発作的な衝動に導いた物は何かという事と、その後の隠蔽工作から彼女のメンタリティーを探る事が、殺人者三橋歌織の履歴書となる。

 三橋歌織の殺人の動機は、主として夫のDVに対する復讐心であろう。加えて、経済的な力関係が逆転してしまった事によって傷つけられた自尊心も、夫に対する憎悪に拍車をかけていただろう。不倫関係については、夫と妻の双方に非があるようで、そこに嫉妬心が生じたとしたら理不尽ではあるが、歌織の性格を考えると、それも原因の一つと考えられなくはない。精神医の作田明が指摘しているが、三橋歌織には自己愛性人格障害が疑われるからである。
 自己愛性人格障害の特徴として、自分の思い通りに世の中が動いて行くという思いこみが強く、過度の期待をしやすい。それだけに、それが満たされない状態になると、対人関係に歪みを生じさせやすく、問題の原因を全て他人に転嫁してしまう。逆転した経済関係、日常的なDV、それらの事のみならず、あらゆる事のストレスが夫・祐輔に投影されていたであろう。また、歌織の行った隠蔽工作の中で、いかにも稚拙な嘘が多い事も、自己愛性人格障害に起因していると作田明は指摘している。過度の期待のために、ポカを犯しやすいのだ。林眞須美や畠山鈴香とは嘘の質が違う。
 三橋歌織は、小学校の卒業文集に「わたしはとても勝ち気な女の子。やられたらやり返すという考え」という文章を寄せている。彼女は、度重なる夫の暴力に対して、まさにやり返す機会を窺っていたであろうが、相手は体力に勝る男性であり、勝ったまま終わらせるためには、それこそ、夫に最反撃が出来ぬ状態までやっつけてしまう事しかなく、つまりは殺してしまうしかなかったのである。

 三橋夫妻の間にDVが生じた原因は分からない。殺人の被害者となった祐輔の生育歴は殆ど知られていない。母親を殴る父親に育てられ、彼自身も虐待を受けていたかも知れないが、それについては資料がない。夫婦間のDVは、離婚という形で終わりを告げない場合、妻の側が暴力を受けながらも、そのような形で夫に依存し続けるという屈折した人間関係で継続するのが普通だ。三橋歌織は離婚という形では夫を許せなかったし、また、依存するという屈折も持っていなかった。告訴を控えたのは、自分の手による報復を無意識に企図していたからかも知れない。
 自己愛性人格障害は、境界性人格障害とセットで扱われる事が多い。両者とも、 DSMによる分類では、反社会性人格障害、演技性人格障害と共にクラスターB群に分類されており、「感情の混乱が激しく演技的で情緒的なのが特徴的。ストレスに対して脆弱で、他人を巻き込む事が多い」とされている。宅間守や畠山鈴香と同じく、三橋歌織も人格障害の影響で殺人に至ったと考える事が出来る。夫のDVに対する妻の叛乱という同情的な見方は危険であろう。
 クラスターB群に分類される人格障害は、日本では過保護によって、アメリカでは虐待によって発生するという研究もあるが、宅間や鈴香の障害は虐待によって、歌織の障害は過保護によって発症したとも言えるが、過保護は虐待であるという解釈も可能であるので、三橋歌織も虐待の犠牲者という見方も出来る。

 三橋歌織はおそらく、福島章の提唱する「殺人者精神病」の範疇に入る者ではないだろう。だが、宅間守にしろ、畠山鈴香にしろ、また、宮ア勤や造田博も、三橋歌織と同じく「人格障害」を抱えており、人が殺人にいたる要因の一つとしての人格障害は無視できぬ物となっている。法廷において、心神喪失や心神耗弱の認定に至らず、また、精神医学でも疾患とは見なさない人格障害について、それが後天的な生育環境によって作り出される物なら、尚更、我々は人間を壊す要因について、「病」という視点で捉え治さねばならないところに来ているのかも知れない。

(続く)

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 11
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い 面白い 面白い 面白い
驚いた
ナイス

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
デジカメ写真の加工、修正を激安で受けます。
就職活動で自分の写真をお使いになる方へ・・・あなたは、自分の写真に満足してますか?就職活動は第一印象がとっても大切です。少し写真に修正を加えるだけで、印象が大きく変わります。もしかすると、あなたの人生を変えてしまうかもしれません。デジカメ写真の加工・修正は是非おまかせください。 ...続きを見る
デジカメ写真の加工、修正を激安で受けます...
2010/08/31 07:14

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
宅間は高機能自閉症だった
名無し
2010/02/03 16:48
名無しさんへ

 そう断定的に言われても、宅間に自閉スペクトラムがあったという根拠が私には見いだせません。私のかかりつけの精神医も、アスペルガー症候群かどうかを正確に診断できる精神医は僅かしかいないと言ってました。貴方が宅間守を診察した事がある精神科医であるというなら別ですが……
紅王
2010/02/03 16:59

コメントする help

ニックネーム
本 文
【殺人者達の履歴書−4】 『我が名はレギオン』公開創作メモ−6 紅王の宮殿・野中友博公式ブログ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる