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zoom RSS 【殺人者達の履歴書−3】 『我が名はレギオン』公開創作メモ−5

<<   作成日時 : 2007/11/18 17:59   >>

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 公開創作メモ第五回。【殺人者達の履歴書】の三回目。今回は、和歌山毒物カレー事件の林真寿美、池袋通り魔殺人事件の造田博、市川一家四人惨殺事件の関光彦について取り扱う。

【殺人者達の履歴書−3】

《ケース4−林眞須美》

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 林眞須美(1961年7月22日〜)は、1998年の7月25日に、和歌山県和歌山市の園部地区で行われた夏祭りで、カレーを食べた67人が腹痛や吐き気などを訴えて病院に搬送され、四人の死者を出した「和歌山毒物カレー事件」の容疑者として有名な人物である。彼女は逮捕後、容疑を全面否認したまま裁判へと臨み、1審の和歌山地裁、2審の大阪高裁に於いて共に死刑判決を受けたが、上告している。
 事件当初、保健所は食中毒によるものと判断したが、自治会長を初めとした4人が死亡したことから和歌山県警は吐瀉物を検査し、青酸の反応が出たことから青酸中毒によるものと判断。しかし、症状が青酸中毒と合致しないという指摘を受け、警察庁の科学警察研究所が改めて調査して亜ヒ酸の混入が判明した。
 林眞須美は、そもそも、10月4日、知人男性に対する殺人未遂と保険金詐欺の容疑で逮捕され、更に12月9日にカレーへの亜ヒ酸の混入による殺人と殺人未遂の容疑で再逮捕されたのである。一審、二審で有罪と判定されたのは詐欺、殺人未遂、殺人などの七件で、「和歌山毒物カレー事件」以外の事件に関しては、全て保険金目的の詐欺と殺人未遂である。つまり、彼女が殺人者として裁かれているのは、あくまで「和歌山毒物カレー事件」に対してであり、それ以外の起訴事実は、全て殺人には至っていない。
 林眞須美が毒カレー事件の容疑者とされた背景には、17歳上の夫、林健治がシロアリ駆除の会社を経営していた事から、亜ヒ酸、即ちヒ素の入手が容易であった事と、夫の会社の従業員がヒ素中毒と思われる死因で死亡した事があり、それが保険金目的の殺人ではないかと疑われる要素があったからである。この従業員の死と林夫妻との関連については、死亡時期が1984年と、カレー事件よりも十数年を経過しており、検察も立件を見送っている。だが、1983年から1998年まで、林眞須美が支払った保険金の金額は二億千九百三十万円に達しており、受け取った保険金の総額は七億三千九百十九万円、その差額として五億二千六十九万の利益を受け取っている。そして、それらの殺人未遂の中には、夫である林健治も含まれていた。つまり、彼女は計画的な毒殺によって巨額の保険金を得ようとした毒婦として、世間とマスコミの耳目を集め、毒物カレー事件の犯人として疑われる事になったのである。

 私が関心を持っているのは、「葛藤殺人者」、或いは「快楽殺人者」であるから、保険金目当ての林眞須美のような殺人者には殆ど関心を持たない。だが、毒物カレー事件以前の詐欺や殺人未遂、立件が見送られたり証拠不十分で無罪となった殺人も含めて、全てに金の絡んだ利欲殺人であるのに対して、「和歌山毒物カレー事件」そのものには、 保険金目当てなどの利欲殺人の動機がない。彼女が真犯人であるのなら、金銭目的ではなく、無差別殺人になるかも知れない犯行にどうして及んだかが謎なのだ。
 地域社会の中で、ある種のイジメやシカトにあったのだろうか? それとも、保険金による派手な金遣いに対する周囲の嫉妬や陰口に耐えられなくなったのだろうか? いずれにしても、彼女自身が犯行を認めていない現在、その真相を彼女の口から聞く事は不可能だ。また、彼女以外に真犯人が存在するとしても、最早、その人物を特定して逮捕起訴する事は不可能だろう。
 この事件当時、前述したように私は大した関心を持っていなかったが、演劇をやっていないような堅気の友人、特に女性の友人から、
「眞須美の事をどう思う?」
としきりに聞かれた事を覚えている。女性にとってはやはり気になる存在だったのだろうか?
 毒殺は放火と並んで女性や子供のような「弱者の殺害方法」だと云われている。永山則夫の項で、射殺は刺殺や絞殺に比べて手応えを伴わないという話を書いたが、毒殺や放火は、射殺以上に手応えがない殺人であるだろう。毒物、薬物を飲食物に混入させて殺すのであれば、殺害する当人は、被害者の死の現場に立ち会う必要もないのである。もしも、林眞須美が、保険金目当てで複数の人間に毒物を与える事を長年に渡って続けてきたのであれば、お祭りのカレーに多数の人間の致死量にあたるヒ素を放り込んだとしても胸の痛みなど感じなくなっていたかも知れない。逮捕前から、また、後半に入ってからも、限りなく彼女がクロである確信された原因はまさにその点にあるであろう。

 で、林眞須美の事件そのものにはさしたる関心を持たなかった私だが、その後に起こった連鎖的な毒物、薬物を使ったミニハルマゲドンとも言える事件は、さすがに無視する訳にはいかなかった。特に、女子中学生が級友や教師に、痩せ薬のサンプルとしてクレゾールを送りつけた事件は、私の憂鬱を決定的な物にした。それが衝撃的だったからではなく、あまりにも思った通りであり過ぎたからだ。
 世の中は、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、神戸連続児童殺傷事件といった暗いニュースが立て続けに伝えられ、誰もが世紀末の人心荒廃を感じていた。林眞須美の毒物事件に触発された女子中学生もまた酒鬼薔薇聖斗の精神的な兄弟、姉妹であったのだと私は思った。彼らは弱者であるが故に、弱者の殺害方法である毒物、薬物による犯罪に走ったのだ。それは疑いようのない事だった。

 果たして、林眞須美が「和歌山毒物カレー事件」の真犯人なのかどうか、それは私には分からない。だが、別に真犯人がいたとしても、薬物を使って保険金殺人を繰り返そうとした林眞須美に触発された違いないのだ。つまり、林眞須美とは始まりでありきっかけだったのだ。
 今後も、そうした何かのきっかけがあれば、宮ア勤や酒鬼薔薇聖斗の子供達が、弱者の殺人へとシンクロしていくだろう。そして彼らは名乗るのだ。
「我が名はレギオン。大勢であるが故に……」
と……


《ケース5−造田博》

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 1999年9月8日午前11時40分頃、東京都豊島区東池袋の東急ハンズ前で、包丁と金槌を持った男が「ウォーッ」と叫び、「むかついた、ぶっ殺す!」と云いながら、通行人を襲い、近くにいた男女三人を次々と刺した。池袋駅に向かう歩道でも男女七人に次々と襲いかかり、被害者のうち、女性二人が死亡した。男は通行人に取り押さえられ、池袋警察署に逮捕された。男は無職の造田博、当時23歳だった。取り調べで造田は「仕事がなくてむしゃくしゃした。だれでもいいから殺してやろうと思った」などと供述した。
 この三週間後の9月29日に下関通り魔殺人事件が起きている。
 造田は2002年1月18日、東京地方裁判所で死刑の判決を受けた。被告人は判決を不服として控訴したが、2003年9月29日の東京高等裁判所判決で控訴は棄却された。2007年4月19日には最高裁判所においても上告が棄却され、判決は確定した。死刑確定は今年になってからの事である。

 造田博は岡山県出身、進学校の高校に通学し成績は優秀だったが、その後、両親が賭博などが原因で数千万円の借金を残して失踪。残された彼の家には借金取りが連日のように押しかけてくるようになり、経済的な困窮も原因となり、高校生活や夢見た大学への進学も破綻。以後、一時は兄に引き取られ、その後職を転々としていた。
 日本での人生に絶望した彼は、新天地を求めてアメリカに短期渡航したが、十分な滞在費がなく、また就職先もなかったので、現地のキリスト教会の牧師に事情を話し、教会の仕事を手伝うのと引き換えに衣食の面倒を見てもらっていたという。逮捕後の尋問時には、この時期が人生で最も充実していたと回想している。
 だが、こうした現地での生活も、滞在期限の失効と同時に終わってしまう。その後、働きながらの大学への通学も考えたが費用の面から頓挫。犯行当時は都内の新聞販売店を辞めた直後だった。
 犯行動機は、人生に絶望し、またどうしようもない環境的な不平等にいらいらした為、と供述している。直接のきっかけは、事件直前に夜勤をしていた際、自分の携帯電話にかかってきた無言電話によるという。 本人が言うところでは、およそ「真面目な人がさらにさらに苦しむ一方で、遊んで楽をしていられる身分の人たちがいることに嫌気がさした」との事である。無言電話に激怒した彼は、アパートの玄関のドアに置き手紙を貼り付けて姿を消し、後日の凶行に至る。置き手紙にはこうあった。
 「わし以外のまともな人がボケナスのアホ殺しとるけえのお。わしがボケナスのアホ全部殺すけえのお」

 一審で造田被告は起訴事実を全面的に認め、事件当時の刑事責任能力の有無が争点になった。検察側による起訴前の簡易鑑定や、専門家による精神鑑定も「責任能力に問題はない」との結論だった。これに対し、弁護側は「精神分裂病による妄想の影響下にあった」と主張していた。判決は、心神喪失か心神耗弱の状態だったとする弁護側の主張を退けた。
 二審でも起訴事実に争いはなく、争点は造田被告の事件時の責任能力の有無だった。原田裁判長は一審と同様に完全責任能力を認めたうえで、「ほかに類を見ない凶悪な犯行で、被害者らの恐怖は計り知れない。重大で深刻な結果を生んだ」と指摘した。
 最高裁の弁論で弁護側は「事件当時、判断能力がない心神喪失状態だった。刑事責任能力はなく無罪」などと主張した。検察側は「被害者や遺族の処罰感情は厳しい」として上告棄却を求めた。
 判決で横尾和子裁判長は被告は日本社会に対する不満を抱いていたが、いたずら電話をきっかけに、うっ積した感情を爆発させた」と指摘。「犯行態様は冷酷、非情、残忍で、被害者には何一つ落ち度がなく、無差別の通り魔事件として社会に与えた衝撃も大きい」と断じた。そして「目についた通行人を手当たり次第に襲った犯行は極めて悪質。何ら落ち度のない被害者2人の命を奪った結果も重大だ」「遺族の処罰感情も峻烈で、死刑はやむを得ない」と述べた。

 造田博の犯罪は。典型的なエリートの挫折による犯罪と見られている。彼は直接の虐待は受けなかったようだが、両親がパチンコにのめり込んで多額の借金を残して家出したため、高校在学中に、それまでの努力と夢が全て水泡に帰した。それからの造田の人生は不幸の連続だった。造田はそれからの数年間で、徐々に、そして急激に壊れていった。犯行前には、殆どイカレポンチが書いたとしか思えない内容の手紙を、外務省に向けて十数通送りつけており、公判では弁護側が、造田が統合失調症であることの証拠としてこの手紙を提出している。つまり、公判で争われた事は、犯行当時の造田がまともであったか無かったかについてだけだった。

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 造田がまともであったか無かったかについての興味深い資料は、青沼陽一郎・著『池袋通り魔との往復書簡』(小学館文庫)である。筆者と造田のやりとりは、造田が友人に送ったというある手紙が元になって始まっている。

「造田博教を作りました。(中略)造田博教に入りたい気持ちのある人は、造田博教に入れます。造田博教は何処でも宣教します。宇宙に出ても宣教します」

 で、筆者は造田に「造田博教」とはいかなるものかについての質問から、この通り魔殺人犯の内面に迫ろうとしているが、造田の書いてきた文章は、とてつもなく支離滅裂で、また稚拙で不可解な物だった。宮崎勤の文章も稚拙だと書いたが、造田の文章の酷さ、支離滅裂ぶりは度を超している。とても、有数の進学校である高校に通っていた人間の書くこととは思えない。 永山則夫元死刑囚や陸田真志死刑囚といった理路整然としたロジカルな文章を書ける人達とは、宮崎も造田も別物だ。彼らが書簡を出した時点では、確実に宮崎も造田もぶっ壊れていると私は確信した。問題は、宮アにしろ造田にしろ、犯行当時も既にぶっ壊れていたのかどうかだ。

 宮崎にしろ、造田にしろ、彼らと密接に関わり、その言葉を分析してきたジャーナリスト達には、彼らを完全責任能力有りとして死刑判決を出したことに対して、一様に疑義を唱えている。彼らを無罪放免してやれと言う事ではない。法制度と死刑制度、そして導き出される判決に、何らかの負荷がかかっていることは確かだろうと思う。

 著者は造田の通り魔殺人について、「一人カルトによる一人テロ」という表現を使っている。ここにも「殺人という病」が横たわっている。死刑判決の理由として一審の裁判官から述べられた「死刑による一般予防などもはや無意味」と著者は書いている。私もそう思う。何より、どうしてその殺人が起こったのかを解明する為に、日本の裁判制度が全く機能していないと云う事に問題があるだろうと思う。この本を読んで、またその事を痛感した。

 ここで私は、また福島章の提唱する「殺人者精神病」」の概念に立ち戻らざるを得ない。宮アや造田はまともでなかったと私は確信しているが、おそらく、現在、司法の場で採用されている精神鑑定の内容、「統合失調症」や「人格障害」という病名によっては、彼らの責任能力が無いという鑑定はされず、また、されたとしてもその鑑定を採用しないであろうという事だ。彼らが病者であるとしたら、それを更生不可能な極悪人として死刑を宣告し、処刑し続けるという事で、社会の安全が保たれるのか、同様の犯罪を抑止しうるのかという事には、疑問符をつけざるを得ないのである。


《ケース6−関光彦》

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 1992年2月12日深夜、千葉県市川市でコンビニへの道を自転車で急ぐ少女がいた。少女は15歳で、勉強中にシャープペンシルの芯が切れたためコンビニへ買いに出たのである。クラスの副委員長をつとめ、演劇部と美術部をかけもちする真面目な生徒であった。
 しかし帰宅途中、自転車は背後から走ってきた車に追突され、少女が転んで膝に擦過傷を負った。車からおりてきた男は彼女を救急病院へ連れていき、手当てを受けさせた。そのまま自宅まで送り届けてもらえるものと少女は思っていたが、しかし突如男は豹変し、ナイフを突きつけてきたのである。頬を切られて怯える少女を男はアパートへ連れ込み、二度犯した。そして現金を奪い、生徒手帳を出させて住所と名前を控えた。
 男の名は関光彦。まだ19歳になったばかりで、余談だがこの22時間前にも24歳のOLを殴りつけ、強姦している。

 3月5日午後5時前、関は少女の自宅へ押し入った。事前にかけた電話に誰も出なかったため彼はてっきり家は無人だと思い込んでいた。だが、実際には少女の祖母が留守番をしていたのである。関は祖母に向かって、
「通帳を出せ」
 と凄んだが、彼女は怯えた様子もなく自分の財布から8万円を抜き出し、これをやるから帰れ、と言った。馬鹿にされた、と思い関はカッとなった。さらに脅しつけたが老女がひるまず警察に通報しようとしたため、関は激昂し彼女を配線コードで絞殺する。
 死体を横にさらに金品を漁っていると、午後7時頃に母親とともに少女が帰宅してきた。関は母親を包丁で刺殺。そして床に広がったその血と尿を、娘である少女にタオルで拭き清めることを命じた。目の前で母親を殺され、放心状態の少女は唯々諾々とそれに従った。
 その後、保母に連れられて少女の妹が帰宅。夕食後、まだわずか4歳の妹は絞殺された祖母の死体が転がる部屋へ、TVを観ていろと追いやられる。
 それから関は少女を、本人いわく「気分転換しようと」強姦した。しかし凌辱の最中に少女の父親が帰宅してきたため、これをも刺殺。通帳を奪ったあと、少女をラブホテルへ連れ込み、その場で二度強姦している。
 関被告は奪った数十万円に満足せず、午前1時ごろ、監禁していた長女に、男性の会社に「金が必要だから通帳を取りに行く」と電話させたうえ、市川市内の会社に連れだし貯金通帳や印鑑などを会社に残っていた知人から受け取らせていたこともわかった。その際、長女は知人に「雑誌で記事をかいたことで脅されている」と説明。助けは特にもとめなかったという。不審に思った知人は派出所に連絡、午前1時半前後に署員が役員宅に出向いたがその時は電気が消えており、応答もなかったため不在と思って引き揚げた。
 翌朝、関らが少女の家へ戻ってみると、目を覚ました4歳の妹が泣いていた。泣き声に腹を立てた関はその体を掴み、背中から包丁を突き入れ胸にまで貫通させた。「いたい、いたい」と幼い妹が細い泣き声をあげるのを聞き、少女に向かって「楽にさせてやれ」と言ったが、少女が動けずにいたので関が絞殺したという。恐怖の頂点にいた少女は、わずか四つの妹を殺されて糸が切れたようになり、そのとき初めて関に歯向かった。関は少女にも包丁をふるい、左腕と背中を切りつける。しかし凶行はそこまでだった。午前9時過ぎ、父親の知人から「社長宅の様子がおかしい」と近くの派出所に届け出があり、署員が現場に駆けつけた。関は少女に包丁を持たせ、
「お前、これを俺に突きつけて脅してるふりをしろ」
と言った。しかし矢継ぎ早の不幸に身も心も疲弊しきっていた少女は、呆然として座り込んだまま動かない。
 苛立って少女を怒鳴りつけた瞬間、雪崩れ込んだ警官隊に彼は捕縛された。警官隊は玄関のかぎがかかっていたため、隣室のベランダをつたって窓から入ったところ、四人が別の部屋で死んでおり、部屋の中で関と長女が呆然と立ちつくしているのを発見し、関を連行。深夜、逮捕状を請求、逮捕した。
 少女が14時間ぶりに保護され、毛布をかけられたその時も、傍らには少女の母、父、祖母、妹がものいわぬ死体となって転がっていた。

 関光彦は1973年1月に生まれた。祖父は戦後、一代で鰻屋チェーン店のオーナーとなった成功者であったが、その愛娘と駆け落ち同然に結婚した男は、絵に書いたようなろくでなしであった。光彦が生まれたため祖父も二人の仲を許さざるを得なかったのだが、飲む・打つ・買うの悪癖を備えた男の所業のせいで結婚生活はじきに破綻した。光彦は幼い頃から、父に殴られ、蹴られる母の姿をみて育った。父は光彦をもしばしば折檻した。折檻された光彦は家を飛び出し、そのたび祖父のもとへ逃げ込んだ。祖父は光彦には甘かったのである。
 彼が9歳になったとき、家庭は決定的に崩壊した。父の借金が億を超えたのだった。この返済のため、祖父は血の滲むような思いをして一代で築き上げた資産のほとんどすべてを失わなければならなかった。祖父もさすがにもう彼ら一家の面倒はみきれず、縁を切ると言い渡した。両親は離婚し、頼みの祖父にも絶縁を宣告された光彦は、すべてに見放されたような気がしたという。一転して極貧生活へ落ちた光彦は、転校先でもいじめられ、次第に鬱屈していった。
 だが中学へ上がる頃には祖父の態度も軟化しており、ふたたび母親と祖父は親子関係を修復した。光彦は所属した少年野球のチームではエースの四番となり、恵まれた体格と腕力で他を圧倒した。しかし、一度ねじれた性質はもうもとへは戻らなかった。学校では真面目な生徒を演じていたが、放課後ともなれば喧嘩と窃盗と飲酒にふけり、母親と弟を殴った。
 高校へは進学したものの、二年生の5月で自主退学。しばらくは祖父の鰻屋で働くが、暴力癖はおさまらずむしろ悪化していく一方であった。結局、鰻屋は「きついばかりでちっとも面白くない」と言って半年足らずでやめ、その後は夜の街でのバイトを転々として暮らすようになる。
 しかし遊ぶ金はいくらあっても足りない。祖父の店へ侵入し、売上金の120万を盗み、その一ヶ月後、また6万円を盗んだ。これを咎められ、光彦は祖父の顔面を蹴った。足の親指が左目に突き刺さり、眼球破裂で祖父は片目を失明した。
 18歳になりフィリピン人女性と結婚するが、彼女は三ヶ月足らずで母国へ帰ってしまった。
 不満を溜め込んだ関はフィリピンパブで働く女性を店には無断で連れ出し、アパートへ無理に泊めた。これに怒った経営者がヤクザに依頼し、関は200万円の慰謝料を請求される。彼が被害者の少女宅へ押し入り、あれほどの惨事を引き起こしたのも、そもそもはこの金策のためであった。
 関被告はほかに、行きずりの女性を強姦したり、路上ですれ違った車の運転手に傷害を与えたりするなど、1991年10月から一家殺害直後に逮捕されるまでの約5カ月間に計14の犯罪を繰り返した。
 逮捕時、関は「ああ、これで俺もついに少年院行きか」としか思っていなかった、という。1989年の綾瀬女子高校生コンクリート詰め殺人を思い起こし、「あれだけやっても誰も死刑になってないじゃないか。俺なんかまだまともだ」とも思っていたそうだ。しかし1994年6年8月、地裁の判決は死刑であった。ついで高裁、最高裁ともに上告を棄却。
 2001年12月、死刑が確定した。
 犯行時未成年で死刑判決が下ったのは、永山則夫以来である。

……以上、「一家惨殺」、「死刑確定囚」等のサイトより引用、編集、加筆。



 関光彦の犯罪は、典型的な親から子への暴力の連鎖に基づく愚者の犯罪である。母親に暴力を振るう父、また自分に対しても暴力でしか接しない父親との関係は、関の中に、人間関係の力学とは、即ち暴力によって相手を屈服させるか、屈服させられるかという二者択一を植え付けた。彼が父親に対して起こした犯行も暴力による犯行であった。成長し、体格と体力に恵まれるようになった光彦は喧嘩に明け暮れ、相手を屈服させた。人数で勝る相手には、祖父の鰻屋にある鉄串などの武器を用いて対抗した。彼にとって、他者とは、暴力によって屈服させ、常に自分が優位に立たねばならないという人生観を植え付けた。
 彼の前半生については、上記に引用した事に加えて、 角川文庫の『19歳 一家四人惨殺犯の告白』永瀬隼介・著に詳しい。
 他者が暴力によって屈服させねばならない存在であると同時に、異性とは性欲を吐き出すための道具でしかなかった。彼の異性関係は、相手構わずセックスする、いわゆる公衆便所と呼ばれるような少女との関係から始まった。彼女が他の誰と寝ていようと彼には堂でも良かった。やがて、特定のガールフレンドが出来るが、彼女との関係は、相互に非行を助長するという双方の親達の思惑で別れを迎えた。それ以来、彼は愛など信じなくなった。18歳で結婚したフィリピン人女性との関係は、彼女の献身的な愛情によって実現した奇跡のような物だった。だが、妊娠した彼女が出産のために帰国すると、光彦はまた性欲の発散だけの異性を求めて強姦や遊びを繰り返し、その結果として一家四人を惨殺する凶行に繋がる、ヤクザからの200万円の落とし前を迫られる事になるホステスとの関係を持ったりした。
 『19歳 一家四人惨殺犯の告白』で、著者の永瀬隼介との往復書簡を交わしている関光彦の文章は、宮ア勤や造田博の物とは異なり、狂気を孕んだ物だとは思わなかった。 関光彦も宮崎勤や造田博、宅間守や永山則夫と同様に、過酷で胸が潰れるような虐待や暴力に満ちた幼少期を過ごし、少しずつ怪物に変わっていったのには違いないが、著者との手紙のやりとりを観ると、宮崎や造田のような、狂気、あるいは知的障害のような物は感じない。それが自己中心的な言葉であっても、しっかりした日本語を書いている。
 彼が、市川の一家四人を惨殺するという凶行に及んだのは、元はと云えば金銭が目的であったが、利欲殺人を最初から計画していた訳ではない。八万円をくれてやるから、このまま帰れと毅然として言い放った少女の祖母の態度に彼はキレたのだ。他者は暴力によって屈服させねばなせない……その歪んだ価値観が爆発した事による愚者の犯行だった。暴力によって育てられた人間は、暴力でしか他者との関係を築けなくなる……関光彦の犯行は、その不幸な事件の典型的な発動だった。彼は宮アや酒鬼薔薇の追随者ではなく、むしろ永山則夫の追随者であった。
 この事件で唯一生き残った長女は、2004年春、28歳で結婚し、ヨーロッパで生活している。

(続く)

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
死刑は執行されたんですか、、あまりにもひどすぎます。
ひどい
2011/12/15 22:54
 このページに挙げた三人のケース、林眞須美、造田博、関光彦の三名はいずれも再審請求中で死刑は執行されていません。

 確定死刑囚の執行の有無や生死に関しては下記のサイトで確認出来ますよ。

http://www.geocities.jp/hyouhakudanna/cplist.html#hyou
紅王
2011/12/16 01:28

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