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zoom RSS 【殺人者達の履歴書−2】 『我が名はレギオン』公開創作メモ−4

<<   作成日時 : 2007/11/17 22:02   >>

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次回作、『我が名はレギオン』の公開創作メモ第四回。前回に続いて、今回は少年Aこと酒鬼薔薇聖斗についての考察。


【殺人者達の履歴書−2】


画像



《ケース3−少年A(酒鬼薔薇聖斗)》


さあゲームの始まりです
愚鈍な警察諸君
ボクを止めてみたまえ
ボクは殺しが愉快でたまらない
人の死が見たくて見たくてしょうがない
汚い野菜共には死の制裁を
積年の大怨に流血の裁きを
SHOOLLKIL
学校殺死の酒鬼薔薇



 1997年5月27日早朝、神戸市内の友が丘中学校の正門前で、同月24日から行方不明になっていた土師淳君(当時11歳)の切断された頭部が発見された。頭部には二枚の紙片が添えられており、そのうちの一枚が前掲した犯行声明文である。犯人は「酒鬼薔薇聖斗」と名乗ったが、警察発表とその後の報道で、「さけ・おに・ばら」等と文字ごとに分けて読み、意味不明であるとされた。淳君の残りの遺体の部分は、頭部の発見場所から南西に五百メートル程の高台、通称「タンク山」で午後三時になって発見された。
 その後、6月4日、神戸新聞社宛てに「酒鬼薔薇聖斗」から、赤インクで書かれた第二の声明文が届く。この中には、報道において「さかきばら・せいと」という呼び名を「おにばら」と誤って読んだ事が強く抗議されており、再び間違えて読んだ場合には、報復があることをほのめかしている。また、自分のことを、「透明なボク」と表現。「透明なボク」ゆえに、自分の存在を世間にアピールするために殺人を犯したと告白した。



神戸新聞社へ

  この前ボクが出ている時にたまたまテレビがついており、それを見ていたところ、報道人がボクの名を読み違えて「鬼薔薇」(オニバラ)と言っているのを聞いた
  人の名を読み違えるなどこの上なく愚弄な行為である。表の紙に書いた文字は、暗号でも謎かけでも当て字でもない、嘘偽りないボクの本命である。ボクが存在した瞬間からその名がついており、やりたいこともちゃんと決まっていた。しかし悲しいことにぼくには国籍がない。今までに自分の名で人から呼ばれたこともない。もしボクが生まれた時からボクのままであれば、わざわざ切断した頭部を中学校の正門に放置するなどという行動はとらないであろう
  やろうと思えば誰にも気づかれずにひっそりと殺人を楽しむ事もできたのである。ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない
  だが単に復讐するだけなら、今まで背負っていた重荷を下ろすだけで、何も得ることができない
  そこでぼくは、世界でただ一人ぼくと同じ透明な存在である友人に相談してみたのである。
  すると彼は、「みじめでなく価値ある復讐をしたいのであれば、君の趣味でもあり存在理由でもありまた目的でもある殺人を交えて復讐をゲームとして楽しみ、君の趣味を殺人から復讐へと変えていけばいいのですよ、そうすれば得るものも失うものもなく、それ以上でもなければそれ以下でもない君だけの新しい世界を作っていけると思いますよ。」
  その言葉につき動かされるようにしてボクは今回の殺人ゲームを開始した。
  しかし今となっても何故ボクが殺しが好きなのかは分からない。持って生まれた自然の性としか言いようがないのである。殺しをしている時だけは日頃の憎悪から解放され、安らぎを得る事ができる。人の痛みのみが、ボクの痛みを和らげる事ができるのである。
最後に一言
  この紙に書いた文でおおよそ理解して頂けたとは思うが、ボクは自分自身の存在に対して人並み以上の執着心を持っている。よって自分の名が読み違えられたり、自分の存在が汚される事には我慢ならないのである。今現在の警察の動きをうかがうと、どう見ても内心では面倒臭がっているのに、わざとらしくそれを誤魔化しているようにしか思えないのである。ボクの存在をもみ消そうとしているのではないのかね
  ボクはこのゲームに命をかけている。捕まればおそらく吊るされるであろう。だから警察も命をかけろとまでは言わないが、もっと怒りと執念を持ってぼくを追跡したまえ。今後一度でもボクの名を読み違えたり、またしらけさせるような事があれば一週間に三つの野菜を壊します。ボクが子供しか殺せない幼稚な犯罪者と思ったら大間違いである。
  ―ボクには一人の人間を二度殺す能力が備わっている―

P・S 頭部の口に銜えさせた手紙の文字が、雨かなにかで滲んで読み取りにくかったようなのでそれと全く同じ内容の手紙も一緒に送る事にしました。



 二つの声明文を受けてから、マスコミは、この「酒鬼薔薇聖斗とは何者か?」という推理ゲームに引きずり込まれた。そして、子供に対する遺体損壊と犯行声明という共通点から、誰もが否応なく10年前の宮ア勤の事を思い出さずにはいられなかった。おそらく、マスコミのコメンテーターも、視聴者達も、宮アのようなロリコンのオタク、事件当時の宮アと同年齢か、或いは宮アの同世代という犯人像をを思い浮かべていたに違いない。我々Mの世代は、酒鬼薔薇が第二の宮アなのではないか、同世代から、再び猟奇的殺人犯が現れたのではないかという事に怯えたのである。
 少年Aが淳君事件を起こす三ヶ月以上前、1997年2月10日午後4時頃、神戸市の路上で二名の小学生女児がハンマーで殴られるという事件が起こっていた。犯人は学生鞄を持ったブレザーの男だった。
 更に一月程過ぎた3月16日午後0時25分、神戸市内の公園で、少年Aは付近にいた小学生の女児に対し、手を洗える場所はないかと尋ね、学校に案内してもらったのち「お礼を言いたいのでこっちを向いて下さい」(少年Aの日記による)と言い、振り返った女児を、八角げんのう(金槌の一種)で殴りつけ逃走した。女児は病院に運ばれたが、3月27日に脳挫傷で死亡した。これが少年Aの最初の殺人の被害者、山下彩香ちゃんだった。また、逃走中の午後0時35分頃、少年Aは別の小学生の女児を見つけ、小刀(刃渡り13センチ)で腹を刺して2週間の怪我を負わせた。この時点で、この二つの通り魔的犯行と淳君の事件は結びつけて考えられてはいなかった。
 6月28日、少年Aは逮捕された。酒鬼薔薇聖斗の正体が14歳の中学三年生であった事に、世間は騒然となった。それまで、マスコミは、頭部が発見された早朝に中学校近くをうろついていた「黒いポリ袋を持った20代から30代の体つきのがっしりした男性」について繰り返し報道していたから、一般市民にとっての犯人像は、やはり第二の宮ア勤と考えられていたからだ。Aが逮捕される前に、犯人が未成年である可能性を指摘したのは、ロバート・K・レスラーのみであった。
 だが、捜査機関では周辺の動物虐待者の聞き込み捜査より、少年Aが動物への虐待行為を度々行っていた目撃証言や、被害者少年と顔見知りの間柄であることなどの情報を得ていた。

 少年Aは、一部上場の重工業メーカーに勤める電気配線技師の父と、専業主婦である母との間に第一子の長男として生まれた。翌年には次男が、三年後には三男が誕生し、男ばかりの三人兄弟の長男だった。次男が年子だった事もあって、少年Aは早い乳離れを強いられる事になった。両親は、弟たちが兄を見習うようにと、特に長男であるAを厳しく育てた。兄弟げんかになると、いつも怒られるのは長男のAだった。だが、この一家は兄弟をそれぞれの名前で呼びあい、Aが「お兄ちゃん」と呼ばれる事は無かったようだ。三男は次男に対してもやはり名前で呼んでいたという。つまり、この一家には「兄」という位置づけが欠けていた。Aは兄としての期待の重圧だけを与えられ、兄としての尊厳は与えられなかったのかも知れない。
 一家は、Aの小学校入学にあわせて、神戸市須磨区の北須磨団地に引っ越してきた。それは母親の実母、つまりAが最も大切な存在だと思っていたという祖母の購入した物だった。北須磨団地は典型的なニュータウンで、小綺麗に区画整理された美しい町並みだった。子供達が隠れて一寸した悪い遊びをするような、いわゆる「悪場所」のような所がない。また、町内には不思議な同町圧力があったとも云われている。各家の経済的なステータスは、所有する自家用車によって競われるが、それは国産車に限っていて、外車を持つのは暗黙のタブーを犯すような物であったというな不可解なルールの中で住民は生きていたようである。
 このニュータウンで、前述したように、少年Aは厳しい躾を受けながら成長したが、小学校の三年生の頃に、それが原因でノイローゼになりかけて精神医の診察を受けている。両親はAの神経質な反応に距離を取り始めたとも云う。この頃、Aはこんな作文を書いている。



まかいの大ま王

 お母さんは、やさしいときはあまりないけど、しゅくだいをわすれたり、ゆうことをきかなかったりすると、あたまから二本のつのがはえてきて、ふとんたたきをもって、目をひからせて、空がくらくなって、かみなりがびびーっとおちる。そしてひっさつわざの「百たたき」がでます。
 おかあさんは、えんま大王でも手がだせない。まかいの大ま王です。



 これをもって少年Aが虐待を受けていたのだと断ずる事は出来ないが、少なくとも、母親によって行われていた「躾」は体罰を伴う物だった事は確かであろう。Aは学校で忘れ物をした時などでも、「お母さんには云わないで」と教師に訴えている。また、母親は「やられたらやり返せ」とも教えていたし、運動会の徒競走に緊張するAに対して、「見ている人達はみんな野菜だと思えばいいんよ」とも云ったという。その時は、まさか、他人を殺す事を、野菜を壊すという認識に至ってしまうとは思ってもいなかったのだろうが……そして、母親に折檻される度に、Aは祖母の部屋へ逃げ込んでいたという。その祖母は、Aが小学校五年生の時に他界してしまう。Aが「死」という物に関心を持つようになったのは、最も大事な存在であった祖母と自分とを死が隔ててしまったからだった。宮ア勤の犯行は祖父の死を境に始まったが、少年Aの「死」への関心は祖母の死を引き金にして始まったのだった。
 死に関心を持った少年Aは、ナメクジやカエルを捕まえて解剖するようになった。それは「死とは何か」という彼自身の探求だった。やがて解剖の対象は、ナメクジやカエルから野良猫に変わった。両親は気づいていなかったが、Aの猫に対する虐待は続き、小学校を卒業する頃には、Aの家の周りから野良猫はいなくなってしまったと云われている。
 そして、Aは猫の解剖中に最初の射精を体験する。彼は、自分だけでなく、誰もがそのようなサディスティックな状態で性的興奮と快感を得る物だと信じ込んでいたようだ。その事を友人(少年Aに、心を許せる相手としての友人がいたかどうかはさだかではないが)に告げたところ、「おかしいんとちゃうか?」と云われたとの事である。後の精神鑑定で、彼は友人達とアダルトビデオを見ても何も感じなかったと述べている。彼が性的興奮を感ずるのは、『13日の金曜日』や『エルム街の悪夢』で人々が惨殺されるシーンであり、カエルや猫の解剖をする時であった。そして誰もが同じだと信じていたのである。サディスティックな性的興奮の対象が、カエルや猫から人間に移っていく事を彼自身も恐れた。そしてそれは時間の問題だった。

 中学生になると、Aは非行グループに加わって幾つかの問題行動を起こしている。だが、それはAが中心になっての非行ではなく、中心人物は別にいた。彼は云ってみればパシリのような存在であり、両親達がニュータウンで生きていたのと同様の同調圧力の中を生きていたのに過ぎないのかも知れない。Aが傾倒していたのはヒトラーであり、スメタナであり、ノストラダムスであり、サルバドール・ダリであったりした。少年Aはダリと同じ「直観像素質者」で、類い希な記憶力と美術的な才能を有していた。
 両親は、Aの躾に対する反抗や問題行動を、自立心の芽生えだと前向きに捉えようとしていたが、度重なる非行を心配した結果、脳の精密検査を行っている。その結果は、知能指数は普通、だが「注意欠陥・多動性障害の疑いがある」という物だった。その後、MRIの検査で「異常なし」と診断された事で、一応、両親は安堵することにした。だが、Aの問題行動は終わらずに、悪童仲間と万引きを続けたりしていた。その時に悪友達がナイフやノコギリ、ナタなどを盗んでいたのに対して、Aの盗んだ物は温度計だったという。彼は、温度計そのものではなく、温度計の中の水銀を集めていたのだ。それは集めた水銀を猫に飲ませるための物だった。彼の「死」に対する関心は依然として続いていたのだ。
 中学二年になってから、Aは比較的教師にとっても扱いやすい生徒になっており、暴力沙汰なども起こしていなかった。両親も「直観像素質」に起因するAの記憶力の良さに親として当然の期待を持っていた。Aは三人の兄弟の中で、最も本を読む事を好む子供だった。中学に入ってから、他の兄弟から別れて個室を与えられたのは、就寝時間になっても明かりを点けて本を読み続けるために、次男がなかなか寝付けずに部屋を移されたのだ。もっとも、彼が熟読していたのはヒトラーの『我が闘争』だったりしたのだが……そうして、Aの心の闇は深く静かに進行していた。学校に行きたくない事を訴えるようになり、父親からは、
「進学しないなら新聞配達か自衛隊に入れ」
と云われたりしている。また、中学二年の終わりに提出した進路指導の作文には、「火葬場の番人になりたい」と書き、死体が腐って行く状態をリアルに書いて担任教師を驚愕させている。そして母親には、
「ノストラダムスの予言からしても、俺の将来はない。人生も終わりや」
と告げている。同じ頃、つまり中学二年から、三年になろうという境目あたりに、彼の暴力の対象はついに人間に及び、二月には二人の女児をゴムのクッション付きハンマーで殴り、翌月には一人の少女の腹にナイフを突き立て、鋼鉄製のハンマーで殴った山下彩香ちゃんを死に至らしめていたのだ。
 彼は、それらの犯行から淳君殺害にいたる過程を秘密の日記に書き記している。



H9・3・16
 愛する「バモイドオキ神」様へ
 今日人間の壊れやすさを確かめるための「聖なる実験」をしました。その記念としてこの日記をつけることを決めたのです。実験は、公園で一人で遊んでいた女の子に「手を洗う場所はありませんか」と話しかけ、「学校にならありますよ」と答えたので案内してもらうことになりました。ぼくは用意していた金づちかナイフかどちらで実験をするか迷いました。最終的には金づちでやることを決め、ナイフはこの次に試そうと思ったのです。ぼくは「お礼を言いたいのでこっちを向いて下さい」と言いました。女の子がこちらを向いた瞬間、金づちを振り下ろしました。
 2、3回殴ったと思いますが、興奮していてよく覚えていません。階段の下に止めておいた自転車で走り出しました。途中、小さな男の子を見つけ、あとを付けましたが、団地の中で見失いました。仕方なく進んでいくと、また女の子が歩いていました。女の子の後ろに自転車を止め、公園を抜けて先回りし、通りすがりに今度はナイフで刺しました。自転車に乗り、家に向かいました。救急車やパトカーのサイレンが鳴り響きとてもうるさかったです。ひどく疲れていたようなので、そのまま夜まで寝ました。「聖なる実験」がうまくいったことをバモイドオキ神様に感謝します。

H9・3・17
 愛する「バモイドオキ神」様へ
 朝、新聞を読むと昨日の「聖なる実験」のことが載っていたので驚きました。2人の女の子は死んでいなかったようです。人間というのは壊れやすいのか壊れにくいのかわからなかったけど、今回の実験で意外とがんじょうだということを知りました。

H9・3・23
 愛する「バモイドオキ神」様へ
 朝、母が「かわいそうに。通り魔に襲われた女の子が亡くなったみたいよ」と言いました。金づちで殴った方は死に、おなかを刺した方は回復しているそうです。人間は、壊れやすいのか壊れにくいのか分からなくなりました。捕まる気配はありません。目撃された不審人物もぼくとかけ離れています。これというのも、すべてバモイドオキ神様のおかげです。これからもどうかぼくをお守り下さい。

H9・5・8
 愛する「バモイドオキ神」様へ
 ぼくはいま14歳です。そろそろ聖名をいただくための聖なる儀式「アングリ」を行う決意をしなくてはなりません。「アングリ」を遂行する第一段階として学校を休むことを決めました。いきなり休んでは怪しまれるので、自分なりに筋書きを考えました。その筋書きはこうです。



 以上は、少年Aの日記から捜査本部の公開した部分である。犯行計画はもっと詳細に書かれていたのかも知れないが、今となっては分からない。
 「バモイドオキ神」という架空の神の妄想が、いつから少年Aの心にすくい始めたのかは明かではない。ただ、「聖名」を得るための聖なる儀式、「アングリ」を遂行するための、存在が彼の中で動き始めたのだ。
 「酒鬼薔薇聖斗」の誕生である。

 山下彩香ちゃんをはじめとする少女達への凶行の後、淳君殺害に至る前、少年A=酒鬼薔薇聖斗は次の文章を書く。



【懲役13年】

いつの世も同じことの繰り返しである。
止めようのないものは止められぬし、
殺せようのないものは殺せない。
時にはそれが、自分の中に住んでいることもある…
「魔物」である。
仮定された「脳内宇宙」の理想郷で、無限に暗くそして深い腐臭漂う心の独房の中…
死霊の如く立ちつくし、虚空を見つめる魔物の目にはいったい、
"何"が見えているのであろうか。
俺には、おおよそ予測することすらままならない。
「理解」に苦しまざるを得ないのである。

魔物は、俺の心の中から、外部からの攻撃を訴え、危機感をあおり、
あたかも熟練された人形師が、音楽に合わせて人形に踊りをさせているかのように俺を操る。
それには、自分だったモノの鬼神のごとき「絶対零度の狂気」を感じさせるのである。
とうてい、反論こそすれ抵抗などできようはずもない。
こうして俺は追いつめられていく。「自分の中」に…
しかし、敗北するわけではない。
行き詰まりの打開は方策でなく、心の改革が根本である。

大多数の人たちは魔物を、心の中と同じように外見も怪物的だと思いがちであるが、事実は全くそれに反している。
通常、現実の魔物は、本当に普通な彼の兄弟や両親たち以上に普通に見えるし、実際そのように振る舞う。
彼は徳そのものが持っている内容以上の徳を持っているかの如く人に思わせてしまう…
ちょうど、蝋で作ったバラのつぼみやプラスチックでできた桃の方が、
実物が不完全な形であったのに、俺たちの目にはより完璧に見え、
バラのつぼみや桃はこういう風でなければならないと
俺たちが思い込んでしまうように。

今まで生きてきた中で、敵とはほぼ当たり前の存在のように思える。
良き敵、悪い敵、愉快な敵、不愉快な敵、破滅させられそうになった敵。
しかし、最近、このような敵はどれもとるに足りぬちっぽけな存在であることに気づいた。そして一つの「答え」が俺の脳裏を駆け巡った。
「人生において、最大の敵とは自分自身なのである」

魔物(自分)と闘う者は、その過程で自分自身も魔物になることがないよう、
気をつけねばならない。
深淵をのぞき込むとき、
その深淵もこちらを見つめているものである。
「人の世の旅路の半ば、ふと気がつくと、
 俺は真っ直ぐな道を見失い、
 暗い森に迷い込んでいた」



 この文章について、精神鑑定にあたった精神科医の一人は、
「『懲役13年』とは、彼が生きてきたそれまでの人生が懲役十三年だったということなのです。十三年の懲役刑をくらうということではないのです」
と語っている。そして、少年Aは、殺人を犯したら自分は死刑になると信じており、少年法によって死刑を免れるとは考えてもいなかったという。事実、逮捕された後、その事を告げられると、
「どうして殺してくれないんだ」
とまで云ったという。だとしたら、これはまさしく遺書なのではなかったか?
 それにしても、中学生の文章としては大した筆力である。末尾の「魔物と闘う者」の下りはニーチェに影響されている事は一目瞭然だが、同じようにサルトルやカミュ、ニーチェやカフカを読みふけっていた自分のローティーン時代を私は彼に重ねずにはいられない。自分が宮ア勤にならなかったのは何故かと問わずにはいられなかったように、また、何故自分は酒鬼薔薇聖斗にならなかったかを問わずにもいられないのである。
 いずれにしろ、少年Aは酒鬼薔薇聖斗として新生すべき聖なる儀式「アングリ」の実行として、淳君の殺害に至る。

 被害者である土師淳君とAは当時から知り合いだった。Aの下の弟である三男は幼稚園の頃から淳君と仲が良く、知的障害のある淳君が虐められたりすると、Aの弟が庇っていたのだ。淳君はAの家を頻繁に訪れていた。淳君の母が、Aの弟を、
「良く面倒を見てくれて有り難い」
と話す裏で、Aは淳君にも弟にも殴る蹴るの暴行を与えていたという。
 小学三年になって、特別クラスに淳君が入り、Aの弟とは別のクラスになると、淳君は前程頻繁にはA宅を訪れなくなったが、Aと弟たちが亀を飼うようになると、また、Aの家に足繁く出入りするようになったらしい。淳君は亀や金魚、爬虫類などの生き物が好きだったのだという。
 凶行のあった1997年5月24日午後、祖父の家に行ってくると家を出た淳君は、生きて我が家へ戻る事は無かった。Aは淳君に「青い色の亀を見せてあげる」と云ってタンク山へ連れて行き、靴紐と手で絞殺した。日頃虐められていたAに、何故淳君がついていったのかは未だに謎である。Aは淳君の遺体を隠して帰宅すると、母親がテレビのバラエティー番組を観ながら笑っているのを見て、自分の息子が何をしでかしたのかにも気づかない愚かな母親だと思ったという。翌日、前日に万引きしたノコギリで淳君の首を切断し、黒いビニール袋に入れて、また隠した。26日になって淳君の首を入れたビニール袋を、誰もいない自宅に持ち帰り、浴室でホースから水をかけて淳君の頭部をきれいに洗った。そして翌日の未明にかけて、犯行声明文をつけた淳君の頭部を友が丘中学校の正門前に運んだのである。それまでの間、行方不明の淳君は町内の人々によって捜索され、それにはAの両親も加わっていた。
 6月28日、Aが逮捕されるまでの犯行声明文の送付と報道などについては、既に述べたとおりである。

 逮捕されたAは、精神鑑定の結果、「重度の行為障害」と「直観像素質」、「性的サディズム傾向がある」と診断され、関東医療少年院に収容された。医療少年院では、これらの障害は、両親、特に母親との正常な親子関係を築く事が出来なかった結果であるとして、Aを赤ん坊から育て治すという方針でのプロジェクトチームが組まれた。父親役、母親役といった役割を決め、長期の矯正が試みられたが、これは医療少年院の職員達にとっても初めての経験だった。この過程については、草薙厚子・著による『少年A 矯正2500日全記録』に詳しい。
 2001年11月27日、治療が順調であるとの判断から、少年Aは東北中等少年院に移る。が、2002年7月、神戸家庭裁判所は、少年Aの治療は順調としながらも、なお綿密な教育が必要として、収容継続を決定。2004年3月10日、成人した加害男性Aは少年院を仮退院し、社会復帰への道を踏み出した。この仮退院の情報は法務省を通じて、被害者の家族に連絡され、少年事件としては異例の形で国民に知れ渡った。2005年1月1日、男性Aの本退院が認められる。 現在のAの所在や職業などは表向きには公開されていない。

 ロバート・K・レスラーは、快楽殺人による連続殺人犯を矯正する事は不可能だと断言している。もしも、少年Aが真実更生したのであれば、それは14歳という、極めて年少者であったことによる幸運であろう。もっと歳の行った犯人であったら、矯正は不可能であったかも知れない。現在も公判の続いている光市母子殺害事件の被告である元少年などが更生可能であるのか否か、それは誰にも断言する事は出来ないであろう。

 この事件は多くの意味で波紋を呼んだ。2004年4月1日には改正少年法が施行され、それまで「犯行時十六歳以上であれば刑事責任を問える」という内容が「犯行時十四歳歳以上であれば刑事責任を問える」と変更された。また、事件から間もない1997年8月1日、犯行当時少年であった永山則夫死刑囚に対して死刑が執行された永山のケースで述べたとおりである。
 事件の直後から、多くの作家やジャーナリストが、この事件とその背景についての本を書き、少年Aと同様の、病的性格に起因する物ではない物の、事件に触発されたと思われる少年犯罪が相次いで起こった。また、当時は『新世紀エヴァンゲリオン』の人気が絶頂にあり、「14歳」とそれに近い世代の少年達が、何らかの形で酒鬼薔薇聖斗にシンクロしていたと云って過言ではないであろう。
 私も、当時は少年達の心の闇を覗こうとして、かなり危うい精神の危機を迎えていた。演劇実験室∴紅王国の第弐召喚式『化蝶異聞録 井戸童』は救われない幼い魂への鎮魂歌であった。

 少年Aは、直観像素質による記憶力や画才、また、年齢から考えればかなりの筆力も持ち合わせている。平均以上の知性と、親子関係を正しく築けなかったための歪んだ性的欲望……それはレスラーの定義する「怪物」の構成要素であると共に、芸術家の霊感の厳選であるのかも知れない。恐ろしい事だが、私はそれを認めざるを得ない。もしかしたら、今後、彼は表現者として世に出てくるかも知れない。その時、我々は彼の言葉を何と聞くだろうか?

「そうです、僕が酒鬼薔薇聖斗です」

 宮ア勤と同じく、酒鬼薔薇聖斗は我々にとって大いなる問いであり謎であり続けるだろう。そして我々表現者の歪んだ鏡でも有り続けるだろうと思う。 


(続く)

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
一つお聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?
中盤前に「両親はAをMRI検査したが、検査の結果に異常なし」とありますが、それはどこから引用・参考にしたものでしょうか?この部分だけで結構なので、引用・参考の本・資料がございましたら、出版社、著者、タイトルを教えてくださると嬉しいです。
できたら早急にお願いできますか?><
みぞれ
2010/10/31 05:32
>みぞれさんへ

 三年も前に書いた事なので、今は別の資料本に埋もれていますので確認は困難ですが……

『地獄の季節』高山文彦・著(新潮社)
『「少年A」14歳の肖像』高山文彦・著(新潮社)
『少年A 矯正2500日全記録』草薙厚子・著(文春文庫)

多分この中のどれかです。

本気で調べたいなら神戸連続児童殺傷事件について書かれた本を全部読んで下さい。

『我が名はレギオン』執筆に際して書いた参考文献一覧についてもブログの別記事にあります。そちらを参照して下さい。下記です。

http://kurenaiking.at.webry.info/200712/article_3.html
紅王
2010/11/02 03:06

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