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zoom RSS エロスとリビドー、タナトスとデストルドー

<<   作成日時 : 2007/08/18 01:51   >>

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 最近の鬱の激しさというのは、リビドーの減衰、エロスの衰退と云う事と大きく関わっている事に気づいた。考えてみれば、私の創作と活力は、全て私のミューズに対するエロスとリビドーに立脚していたのだ。だけれども今、我がミューズの女神達は、皆々タナトスとデストルドーに憑依されているように思え、私自身のエロスがその事によって疎外されている。現在陥っているいる鬱状態と創作のスランプは、概ねエロスとリビドーが満たされない事にあるのだと思うのだ。

 私は昔から、「俺の芝居には寝てみたいと思えない女優は出さない」と公言していたけれども、それは実は嘘ではない。と云って、演劇実験室∴紅王国を発足させて以来、出演させた女優を喰っちゃったというような事はないし、そういう事をすると、演出家対女優という関係性のエロスを別の意味で疎外するから、そういう事はしないように心がけてきた。私の演出の根源は、そうしたデリケートなエロスに支えられてきたし、それを妥協するような事をすれば手痛いしっぺ返しを受けてきた。

 演劇におけるエロスというのは極めて触覚的でフィジカルな物だ。ロジックではない。私が単なる劇作家ではなくて、作・演出家であることの所以は、このフィジカルな部分でのエロスの交歓を俳優達と共有するという前提において言の葉を紡ぐ事にある。私は私のような色気のある台詞を書ける劇作家はそうそういる物ではないと自負しているけれども、その台詞の色気というのはロジカルに思索した結果でも無ければ、レトリックを駆使した職人芸でもない。文字通り、何かが取り憑いたような状態で、フィジカルなエロスを体感しながら書いている。多分、霊感という言葉ではない。本当にもっとフィジカルな物だ。そのフィジカルな交歓を予測しながら書き始めたり書きつづったりする事は、エロスとリビドーの発動を予感しながらの物になる。

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 上記、二枚の画像は、それぞれ『女郎花』と『蛭子の栖』の公演用の宣材として私自身が撮影し、フォトショップを使って加工した物だ。モデルになってくれた女優達に「ああしろ、こうしろ」と指図しながら撮影し、シャッターを切ると云う事にはその行為独特のエロスが介在していて、また、撮影した素材をフォトショップでいじくるという事にも別のエロスが介在する。その事を二次コンと云われようとオタクと云われようと、別に私は構わない。俳優達に指図し、時には罵倒しながら舞台作品を立ち上げていくという演出家の狂気に比べれば、そんな物は甚だ健康な営みに過ぎない。

 エロスとリビドーは、特に雄のエロスとリビドーは暴力的な物だ。そして攻撃的な物だ。攻撃的かつ暴力的になっている時の自分が、むしろ精神的には健康で、鬱よりは躁の状態にいるという事を私は自覚している。若い頃、女の芝居ばかり書いていると云われてきた私だが、今はむしろ雄の攻撃的なエロスとリビドーにシンクロしているように思う。そのエロスとリビドーが脅かされた時には鬱を抱え込み、代償行為としてAVを見まくったりセックスに溺れたりする。そういう時の自分がいかに危険かを今は知っている。

 四十代も半ばとなってきて、髪が薄くなったり視力が落ちたり歯周病で歯を何本も抜いたりという事が重なってきて、否応なく『死』を意識したり、人生の残り時間を考えるようになったが、不思議と昔から死にたいと思った事は無かった。私はそういう事には潔癖症なので、死にたいと思ったのならとっくに死んでいる。

 不謹慎かも知れないけれども、「死にたい」という人は死なせてあげれば良いじゃないかと思う。世界三大宗教のみならず、諸々のタブーや道徳律が自殺を禁じているけれども、自殺というのは人間が最期に行使できる究極の自由だ。そして死は孤独であり孤独とは自由の事である。人は生まれながらにして自由の刑に処せられているとサルトルが言った如くに自由とは孤独な物だ。だけれども自由の為に死ぬと云う事を私のエロスとリビドーは許さない。私は生に執着し、なおかつそれを渇望している。究極のエロスを体感する為に我が演劇がある。

 我がミューズ達が、エロスやリビドーの発動によらず、タナトスとデストルドーに憑依されているとしても、それは彼女達の人生なので、私がとやかく言う事ではない。ただ、それにシンクロしたら、私の『鬱』は決定的な物になって、多分、立ち直る事も出来ないだろう。私は私のアートを死守する為には、タナトスとデストルドーを遮蔽しなければならなくなるかも知れない。それは悲しい事であって、やはり鬱のトリガーともなりうる物だけれども、それはどうする事も出来ない。

 それでも私は生きている。生きている限り、おそらくタナトスとデストルドーの側でなく、エロスとリビドーの側にあり続けるだろうと思う。その為に、再建しなくてはならない何かがあるのだろうと思う。

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